●西塩子の回り舞台 地芝居「時津風日に出の松 鴫山城内の段
●西塩子の回り舞台 地芝居「時津風日に出の松 鴫山城内の段
<b>西塩子の回り舞台で歌舞伎公演</b>
日時:(2013)平成25年10月19日(土)午前10時~午後6時
会場:塩田公民館グランド
住所:茨城県塩田公民館グラウンド
入場無料
<b>特別出演 南会津町 田島祇園屋台歌舞伎保存会</b>
田島祇園祭屋台歌舞伎保存会は、明治6年の学制の制定により途絶えていた、田島祇園祭(国指定重要無形民俗文化財)の屋台上で
の子ども歌舞伎の復活を目的として平成4年に設立され、平成6年10月に初公演が行われました。
その後、子ども役者の不足や指導者の高齢化により、一時保存会自体の存続も危ぶまれ
ましたが、平成23年1月、子ども歌舞伎の指導者になることを目標として、大人の有志7人が稽古を開始、その年の祇園祭りで初舞台を踏みました。
現在、保存会には17名の子ども役者と10名
の大人役者が所属し、週一回程度の稽古に励んでいます。
地芝居「時津風日に出の松 鴫山城内の段」
田島の老舗医院の先々代院長 馬場翠園氏が作った、戦国時代の会津田島の領主 長沼氏の居城「鴫山城」を舞台としたオリジナル歌舞伎。
戦国時代の末期会津を納める芦名家は、仙台の伊達政宗との戦で敗北しました。
芦名家に味方していた鴫山城主長沼盛秀は、伊達ににらまれる立場となっています。
一方、盛秀は、領地を接する久川城主、河原田大膳とも、領地をめぐる戦を繰り返していました。
この日も河原田軍との戦いがあり、出陣していた長沼家の家老 隼人乃助が放った矢が相手の侍大将に命中、みごと勝ち戦となりました。
隼人乃助が鴫山城へと引き上げてきた場面から物語は始まります。
勝利に酔う長沼盛秀に対し、家老の隼人乃助は戦を続けることに疑問を感じています。
そこへ、伊達の軍勢が鴫山城をめがけて押し寄せてきました。
伊達の使いとして盛秀に面会した片倉小十郎は和睦を進めますが、盛秀は怒って話を聞きません。
「戦になっては長沼家は滅びる」と隼人乃助は自分の命をなげうって盛秀をいさめるのでした。
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