01月:高浜海岸元旦御輿渡御04写真帖

  • P1010064a
    元日の日の出とともに冷たい海を練り歩く。

01月:鍬の祭05写真帖

  • Img_1881a
    豊作を祈願する田遊びの神事

01月:真壁どんど焼き03写真帖

  • P1010022a
    小正月十四日に子どもたちが中心になっておこなう行事

01月:寒川の花桶かつぎ04写真帖

  • P1010004a
    振り袖姿の少女たちが花桶をかつぐ

01月:西丸山祈祷囃子04写真帖

  • P1010024a
    家内安全と五穀豊穣を祈る

01月:はねつき神事07写真帳

  • Img_5374a
    はねつきにより今年の豊凶を占います。

02月:嵐除祭06写真帖

  • Img_5041c
    全国的にも珍しい「田楽舞」が奉納されます。

02月:烏よばり07写真帖

  • Img_7333c
    豊作を烏(からす)で占う農耕行事

03月:会津彼岸獅子04写真帖

  • Img_0335c
    春まだ浅い会津にやってくる「会津彼岸獅子」、春の訪れを告げ使者。

03月:舟引き祭りと巫女舞05写真帖

  • Img_6481c
    青い妖精「巫女舞」に感激します。

03月:金砂大祭礼写真帖3月24日鯨が丘行列

  • P1010028c
    蔵の街並みを大行列が行きます。

04月:日立さくらまつり写真帖

  • Img_7232c
    日立風物、日立のささら、ひたち舞祭など楽しいイベントで楽しみましょう。

04月:摩多羅鬼神祭08写真帖

  • Img_0673c3
    京都・広隆寺の摩多羅祭とともに日本二大鬼神祭の一つといわれる雨引観音の「摩多羅鬼神祭」が8年ぶりに復活しました。

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2013年11月 5日 (火)

●西塩子の回り舞台 地芝居「一の谷嫩軍記 熊谷陣屋の場」

●西塩子の回り舞台 地芝居「一の谷嫩軍記 熊谷陣屋の場」

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<b>西塩子の回り舞台で歌舞伎公演</b>
日時:(2013)平成25年10月19日(土)午前10時~午後6時
会場:塩田公民館グランド
住所:茨城県塩田公民館グラウンド
入場無料

<b>地芝居「一の谷嫩軍記 熊谷陣屋の場」(いちのたに ふたば ぐんき)</b>

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出演:柳橋歌舞伎保存会

<b>特別出演</b>:柳橋歌舞伎保存会(郡山市指定重要無形文化財)
 江戸時代に天領であった福島県郡山市中田町柳橋は、他領に比べて規制がゆるやかで、芸事が盛んな土地柄でした。
そのような環境の中で地芝居の一座が組まれ、江戸時代の末には盛んに他領での興行も行いましたが、戊辰戦争後は興行が禁じられて、地元の菅布弥神社の祭礼のみで奉納されるようになりました。

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明治時代中頃には一時中断しますが、大正5年に「柳橋歌舞伎研究会」が結成されて復活、その後も伝承の危機がありましたが、昭和55年に地区全戸で「柳橋歌舞伎保存会」を結成、現在まで毎年の祭礼で地芝居の奉納を行っています。

■地芝居「一の谷嫩軍記 熊谷陣屋の場」
ご存知源平合戦の有名な物語を、歌舞伎らしく荒唐無稽に脚色した人気の一幕

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平経盛の子 敦盛は、まだ少年の面影を残す平家の公達。
しかし実は、経盛の妻 藤の方が宮仕えしていた時、法皇の寵愛を得て身ごもった皇統を引く皇子でした。
それを知る義経は、一の谷に出陣する熊谷次朗直実に敦盛の助命を暗示。
そこで熊谷は年恰好の同じわが子 小次郎直家を敦盛の身代わりに戦場で討ち取ります。
 舞台は、義経が敦盛の首実検を行う熊谷の陣屋。

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熊谷の女房で小次郎の母 相模、敦盛の母 藤の方、一の谷に敦盛を供養する石塔を建てたかどで捕縛された石屋の弥陀六を引き立てた梶原らが訪れます。
熊谷は、敦盛の敵を討とうと迫る藤の方をなだめ、相模と藤の方に敦盛を討ち取った様子を語り、小次郎の首を義経の前に差し出します。
首を見て「あっ」と驚く二人の女。
物陰で様子を見ていた義経の裏切りを知り、鎌倉に告げようと駆け出した梶原は、弥陀六の投げた石ノミで落命。

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弥陀六を幼少時の恩人平胸清と見破った義経は、敦盛を忍ばせた鎧びつを弥陀六に託します。
世の無常を観じた熊谷は出家して蓮生坊と名を改め、陣屋を後にするのでした。

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2013年10月24日 (木)

●西塩子の回り舞台 子ども歌舞伎「白浪五人男 稲瀬川勢ぞろいの場」

●西塩子の回り舞台 子ども歌舞伎「白浪五人男 稲瀬川勢ぞろいの場」

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<b>西塩子の回り舞台で歌舞伎公演</b>
日時:(2013)平成25年10月19日(土)午前10時~午後6時
会場:塩田公民館グランド
住所:茨城県塩田公民館グラウンド
入場無料

<b>子ども歌舞伎「白浪五人男 稲瀬川勢ぞろいの場」</b>Img_0227nb320
出演:大宮北小学校4年生

正式な題名は「青砥稿花紅彩画」(あおとぞうしはなのにしきえ)。
”白浪とは盗賊のことで、日本駄右衛門を首領とする、弁天小僧菊之助、南郷力丸、忠信利平、赤星十三郎の五人の盗賊団の物語。
五人は策を巡らし裕福な呉服商浜松屋に押し入って大金を奪おうとしますが、ひょんな事から浜松屋の主人幸兵衛が菊之助の実父、浜松屋の養子として育てられている宗之助が駄右衛門の実子ということが判明し、一同は何も盗らずに桜満開の稲瀬川堤に落ちのびます。
捕り手を前に五人がそれぞれ、自分の来歴を七五調の名セリフで語る場面

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が見どころ。
小学校での授業の成果をご覧あれ。

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2013年10月22日 (火)

●西塩子の回り舞台 地芝居「時津風日に出の松 鴫山城内の段

●西塩子の回り舞台 地芝居「時津風日に出の松 鴫山城内の段

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<b>西塩子の回り舞台で歌舞伎公演</b>
日時:(2013)平成25年10月19日(土)午前10時~午後6時
会場:塩田公民館グランド
住所:茨城県塩田公民館グラウンド

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入場無料

<b>特別出演 南会津町 田島祇園屋台歌舞伎保存会</b>

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田島祇園祭屋台歌舞伎保存会は、明治6年の学制の制定により途絶えていた、田島祇園祭(国指定重要無形民俗文化財)の屋台上で

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の子ども歌舞伎の復活を目的として平成4年に設立され、平成6年10月に初公演が行われました。
その後、子ども役者の不足や指導者の高齢化により、一時保存会自体の存続も危ぶまれ

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ましたが、平成23年1月、子ども歌舞伎の指導者になることを目標として、大人の有志7人が稽古を開始、その年の祇園祭りで初舞台を踏みました。
現在、保存会には17名の子ども役者と10名

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の大人役者が所属し、週一回程度の稽古に励んでいます。

地芝居「時津風日に出の松 鴫山城内の段」

田島の老舗医院の先々代院長 馬場翠園氏が作った、戦国時代の会津田島の領主 長沼氏の居城「鴫山城」を舞台としたオリジナル歌舞伎。Img_0160vfe320
 戦国時代の末期会津を納める芦名家は、仙台の伊達政宗との戦で敗北しました。
芦名家に味方していた鴫山城主長沼盛秀は、伊達ににらまれる立場となっています。
一方、盛秀は、領地を接する久川城主、河原田大膳とも、領地をめぐる戦を繰り返していました。
この日も河原田軍との戦いがあり、出陣していた長沼家の家老 隼人乃助が放った矢が相手の侍大将に命中、みごと勝ち戦となりました。Img_0171bg320
隼人乃助が鴫山城へと引き上げてきた場面から物語は始まります。
 勝利に酔う長沼盛秀に対し、家老の隼人乃助は戦を続けることに疑問を感じています。
そこへ、伊達の軍勢が鴫山城をめがけて押し寄せてきました。
伊達の使いとして盛秀に面会した片倉小十郎は和睦を進めますが、盛秀は怒って話を聞きません。
「戦になっては長沼家は滅びる」と隼人乃助は自分の命をなげうって盛秀をいさめるのでした。

2013年10月21日 (月)

●西塩子の回り舞台 口上と常磐津「子宝三番叟」

●西塩子の回り舞台 口上と常磐津「子宝三番叟」

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<b>西塩子の回り舞台で歌舞伎公演:子どもたちの熱演</b>
日時:(2013)平成25年10月19日(土)午前10時~午後6時
会場:塩田公民館グランド

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住所:茨城県塩田公民館グラウンド
入場無料

<b>口上と常磐津「子宝三番叟」</b>

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出演:大宮北小学校4年生

「三番叟」は老人の姿をした神が天下泰平・五

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穀豊穣等を祝して舞う姿を芸能化した、能の「翁」を歌舞伎舞踏に取り入れたもので、様々な趣向で多くの曲が作られました。
この曲は12人の子を持つ子福者が、四季の遊びのおもしろさを物語る内容で仕立てられた常

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磐津です。
幕開きなどに演ずるおめでたい曲です。

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2013年2月12日 (火)

2013修多羅寺節分祭

2013年02月04日投稿
修多羅寺節分祭
場 所 :茨城県城里町小勝(おがち)(旧七会村)
開催日 :平成25年2月3日(日)
午前10時30分~午後12時30分
10時30分~水行
11時00分~ご祈祷
12時00分~豆まき

石碑に開祖「天目上人」のことが刻印されています。
「正安2年(1300年)開山で当初は本門寺と称した。
徳川光圀の時、寺領5石の朱印が与えられ、毘沙門天が寄進され、寺号を修多羅寺と改名。
水戸家武運長久の祈願所となった。」(城里町公式ホームページより)

豆まきは20年ほど前から、水業は15年ほど前から磯野善恵住職がおこなっています。

城里町小勝の「修多羅寺」(磯野善恵住職)で3日、恒例の節分祭が開かれ、住職らが冷水をかぶり身を清める水行が行われました。

「人々の願いを叶え、苦しみを切るため、修行の一つとして命がけで水をかぶり、身を清めます。」

のち本堂でご祈祷、厄払いをしてもらいお札破魔弓を授かり、今年一年の家内安全や無病息災を祈願しました。
<a href="http://livedoor.blogimg.jp/cjs0188/imgs/3/b/3ba5f27b.jpg" title="節分祭七会村修多羅寺13-02-03" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/cjs0188/imgs/3/b/3ba5f27b-s.jpg" width="160" height="107" border="0" alt="節分祭七会村修多羅寺13-02-03" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a><a href="http://livedoor.blogimg.jp/cjs0188/imgs/d/6/d6413cde.jpg" title="節分祭七会村修多羅寺13-02-03" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/cjs0188/imgs/d/6/d6413cde-s.jpg" width="160" height="107" border="0" alt="節分祭七会村修多羅寺13-02-03" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a>

<a href="http://livedoor.blogimg.jp/cjs0188/imgs/d/7/d7581acd.jpg" title="節分祭七会村修多羅寺13-02-03(3)節分" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/cjs0188/imgs/d/7/d7581acd-s.jpg" width="160" height="107" border="0" alt="節分祭七会村修多羅寺13-02-03(3)節分" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a><a href="http://livedoor.blogimg.jp/cjs0188/imgs/d/9/d959e0c9.jpg" title="節分祭七会村修多羅寺13-02-03" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/cjs0188/imgs/d/9/d959e0c9-s.jpg" width="160" height="107" border="0" alt="節分祭七会村修多羅寺13-02-03" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a>

<a href="http://livedoor.blogimg.jp/cjs0188/imgs/f/8/f8c9b817.jpg" title="節分祭七会村修多羅寺13-02-03" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/cjs0188/imgs/f/8/f8c9b817-s.jpg" width="160" height="107" border="0" alt="節分祭七会村修多羅寺13-02-03" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a><a href="http://livedoor.blogimg.jp/cjs0188/imgs/f/6/f6865e06.jpg" title="節分祭七会村修多羅寺13-02-03" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/cjs0188/imgs/f/6/f6865e06-s.jpg" width="160" height="107" border="0" alt="節分祭七会村修多羅寺13-02-03" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a>

2012年4月13日 (金)

2012マダラ鬼神祭(2)柴燈護摩供養

祭り名;マダラ鬼神祭
寺院名;雨引山楽法寺(雨引観音)

場   所 :茨城県桜川市木本
開催日 :平成24年04月08日(日)午前11時~午後12時00分
天 候 :晴れ 暖かい 桜ソメイヨシノはまだ未開花、河津桜が8分咲き

☆祭の様子☆

○マダラ鬼神登場
 午前11時になると楼門から行列が石段を登りはじめます。

Img_0037qwe



行列の順序
1.僧侶1人
2.金棒持ち2人
3.ほら貝1人
4.けん族といわれる白鬼、赤鬼、茶鬼、緑鬼、紫鬼が手に松明を持って石段をのぼり、結界を通過後本堂に上がります。

Img_0043mhy


5.のぼり2本
6.稚児(女子)5人。かわいい稚児たちも無事に石段を登りきり、多宝塔前にお座りしました。
7.ドラと鉦2人
8.寺侍15人
9.カゴ4人

10.行列が登りきったあとマダラ鬼神が石段を登り、境内の結界に入ります。

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○柴燈護摩供養 
 竹矢来の内側には、柴燈護摩壇がすえられ、そのまわりに檀家の人々や鬼神が並びます。
導師の続経の声、檀家代表のあいさつ、太鼓の響き、導師が抜刀してお祓い、護摩壇に点火、白煙もくもく、燃え盛る炎

に塩をまいて供養、檀家の人々のお参り、護摩木を炊くなどの所作が行われました。

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 この所作には厄除け、悪魔祓い、招福の願いが込められています。

○鬼踊り
護摩祈祷が終ると、導師、僧侶は本堂へ。
摩多羅鬼神と赤鬼、白鬼など5人の眷属(けんぞく)は護摩壇の周りに位置取りし、手に持った松明に護摩壇の火を採火します。

Img_0080nhy

この火のついた松明を振りかざしながら踊るわけですが、その動作は斧で木を切る動作を模しています。
摩多羅鬼神が「ドム」、鬼は「ホイ」と掛け声をかけながら、松明を振り上げ振り下ろし木を切る所作を行います。(「アバラーとも言っているようですが良くわからない鬼語です。)

1回の動作が終ると60度移動し、同じ動作を行います。

これを3回180度の動作で踊りは終わり、松明を消して本堂へあがります。

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○破魔矢

 この祭りのクライマックスはやはり朱塗りの本堂の回廊から摩多羅鬼神たちが放つ破魔矢。
四苦を意味する49本の破魔矢を観客の頭上高く弓を引き放ちます。
鬼が5人と摩多羅鬼神 合わせて6人×8本=48本。残る1本は摩多羅鬼神が最後に放ちます。

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破魔矢を拾って持ち帰ると無病息災、家内安全に御利益があるとされ、人々は競い合ってこの破魔矢を拾うことに力を注ぎます。

Img_0025mki

2012年4月 8日 (日)

2012マダラ鬼神祭(1)行列

祭り名;マダラ鬼神祭
寺院名;雨引山楽法寺(雨引観音)

Img_001mju3

場   所 :茨城県桜川市木本
開催日 :平成24年04月08日(日)午前11時~午後12時00分
天 候 :晴れ 暖かい 桜ソメイヨシノはまだ未開花、河津桜が8分咲き

☆祭の様子☆ 

○マダラ鬼神登場
 午前11時になると楼門から行列が石段を登りはじめます。 Img_0007nhy

行列の順序
1.僧侶1人
2.金棒持ち2人
3.ほら貝1人
4.けん族といわれる白鬼、赤鬼、茶鬼、緑鬼、紫鬼が手に松明を持って石段をのぼり、結界を通過後本堂に上がります。

5.のぼり2本Img_0008mje
6.稚児(女子)5人。かわいい稚児たちも無事に石段を登りきり、多宝塔前にお座りしました。
7.ドラと鉦2人
8.寺侍15人
9.カゴ4人

10.行列が登りきったあとマダラ鬼神が石段を登り、境内の結界に入ります。Img_0009yui

○柴燈護摩供養 
 竹矢来の内側には、柴燈護摩壇がすえられ、そのまわりに檀家の人々や鬼神が並びます。
導師の続経の声、檀家代表のあいさつ、太鼓の響き、導師が抜刀してお祓い、護摩壇に点火、白煙もくもく、燃え盛る炎

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に塩をまいて供養、檀家の人々のお参り、護摩木を炊くなどの所作が行われました。
 この所作には厄除け、悪魔祓い、招福の願いが込められています。

○鬼踊りImg_0014nhy
護摩祈祷が終ると、導師、僧侶は本堂へ。
摩多羅鬼神と赤鬼、白鬼など5人の眷属(けんぞく)は護摩壇の周りに位置取りし、手に持った松明に護摩壇の火を採火します。

この火のついた松明を振りかざしながら踊るわけですが、その動作は斧で木を切る動作を模しています。
摩多羅鬼神が「ドム」、鬼は「ホイ」と掛け声をかけながら、松明を振り上げ振り下ろし木を切る所作を行います。(「アバラーとも言っているようですが良くわからない鬼語です。)

1回の動作が終ると60度移動し、同じ動作を行います。Img_0006nju

これを3回180度の動作で踊りは終わり、松明を消して本堂へあがります。

○破魔矢

 この祭りのクライマックスはやはり朱塗りの本堂の回廊から摩多羅鬼神たちが放つ破魔矢。Img_0015nhy
四苦を意味する49本の破魔矢を観客の頭上高く弓を引き放ちます。
鬼が5人と摩多羅鬼神 合わせて6人×8本=48本。残る1本は摩多羅鬼神が最後に放ちます。

破魔矢を拾って持ち帰ると無病息災、家内安全に御利益があるとされ、人々は競い合ってこの破魔矢を拾うことに力を注ぎます。

2012年1月31日 (火)

ふくしまの春(1)コスキンパレード(川俣町)

ふくしまの春(1)コスキンパレード(川俣町)

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3・11東日本大震災で甚大な被害を受けながらも、各地で郷土芸能を守り人々の絆を深めようという熱い思いが湧いています。
長い歴史の中で人々に受け継がれ生きる力となってきた伝統芸能の持つ力が、震災により消えそうになりつつも、困難を乗り越え未来への希望となっていることに思いを新たにしました。「ふくしまの春」の一日を取材し、ここに記録します。

◆イベント名:絆つながる「ふくしまの春」Img_0055qwe
◆目的:絆つながる「ふくしまの春」は震災、原発事故で避難を余儀なくされている方々を少しでも元気付け、地域の絆を深め、さらに、仮設住宅受け入れ地域との交流を図ります。
◆日時:[2012]平成24年1月29日(日)11時から18時
◆会場:コラッセ福島多目的ホール、東口駅前広場~駅前どおり、JR福島駅東西連絡通路

●コスキンパレード(川俣町)

*駅前広場にて11:20よりImg_0056vfr

[春の花のよう]
それぞれの避難先から川俣町の100人もの人たちが集い、チャランゴとケーナのリズムにのって華やかに踊りました。
雪のちらつく日和ながら、色とりどりの衣装をまとった人たちが楽しそうに舞う姿は、あたかも春の花が咲いたようにきれいでした。

[コスキンパレード由緒]Img_0057qwe

川俣町在住のフォルクローレ愛好家らの呼びかけで、1975年に川俣町においてアマチュアの13グループでコスキン・エン・ハポンが開催され、1999年からはコスキン・エン・ハポンの期間に民族衣装でメインストリートを練り歩く「コスキンパレード」が実施されるようになり、町を挙げての行事に発展している。昨年も162のチームが10月8日9日10日の三日間、川俣町に集い、町中にケーナ(縦笛)が響きわたった。

コスキン市(アルゼンチン)Img_0083qwe
コスキン市は、アルゼンチン北西部コルトバの北に位置する避暑地です。
南半球の夏に当たる1月下旬、約10日間にわたって、フォルクローレの国民音楽祭が行なわれます。
このときコスキン市3万人の人口は60倍の180万に増えるといわれています。
コスキン祭の会場で演奏できることは、日本ではNHKの年末の紅白に出場する位の名誉なことだそうです。
川俣町のコスキン祭は、この音楽祭にあやかって名付けられたものです。

フォルクローレ

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南米アンデス山脈に住むインデオを中心に伝わる民俗音楽の総称です。
尺八に似た縦笛のケーナ、マンドリンのような十弦小型ギターのチャランゴ、打楽器ボンボが基本的な編成になっています。
楽器の音色の中に素朴さ、優しさ、包みこむおおらかさが感じられます。
祖先がアジア大陸から渡ったモンゴリアン一族の末裔ともいわれます。きっと共感できる何かがあるかもしれません。

2010年3月17日 (水)

雛まつり・上巳の節供

雛まつり・上巳(じょうし)の節供

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 旧暦3月の一番初めの巳(み)の日(上巳)に、人々が水辺に出て禊ぎ(みそぎ)を行うという風習があったことに由来する儀式で、この日、川のほとりでは「曲水の宴」が催されました。
この風習は五世紀頃には中国から日本に伝わっていたようです。
もともと日本には、季節の変わり目に水で禊ぎをし、穢れ(けがれ)を移した形代(かたしろ・・人をかたどったお札)を川へ流すという風習(後の「流しびな」が古くからありました。

これが平安時代以降の女の子の「人形遊び(幼女が小さな人形であそぶ)」と結びついたのが雛まつりの始まりと言われています。

2009年11月28日 (土)

茨城県郷土民族芸能の集い(3)八木節源太踊り

◆平成21年度(第33回)茨城県郷土民族芸能の集い(2)八木節源太踊りImg_0219ase
◆日時:[2009]平成21年11月28日(土)12:50 16:10
◆会場:常陸太田市パルティーホール
◆目的:郷土伝統文化の普及と伝承

八木節源太踊り

 歌は賑やか、踊りは華やか、いつ見ても楽しい踊りで見る者を元気にしてくれる魅力があります。和製ヒップホップダンスか、舞祭で踊っても拍手喝采を得られるでしょう。Img_0220mju

 保存会は再々発足後35年経過してますます活発に活動しています。小学生から高校生まで多くの子どもたちが保存会に参加しているという羨ましい踊りです。

 踊りの種類は、安笠・双笠・流笠・車笠・弓張笠・相笠・番笠等がある中で、子どもたちは、弓張笠を踊ることを目標に日夜励んでいるそうです。

 八木節は約100年前に「掘込源太」が作ったといわれていますが、決まった歌詞はなImg_0225mki く、自由に作詞できるよさがあり、七・七調で歌われます。
 
 小道具も花笠や扇子、唐傘などを駆使して、観客が楽しめるような趣向がなされています。
踊るテンポが速く小気味良い所作で、踊るも楽しい、見るも楽しい演目でした。

この日披露された演目をメモします。
・安笠・・・口上はあいさつ源太Img_0234mju
・車笠・・・口上は国定忠治
・流笠・・・口上は荒神山
・弓張笠・・・口上は国定忠治


八木節源太踊りの紹介1(城里町)
(平成21年度(第33回)茨城県郷土民族芸能の集い出演者団体紹介パンフレットより:当日配布)

城里町指定無形民族文化財Img_0240bgt

 下赤沢地区に伝わる八木節源太踊りは、明治時代にやってきた芝居一座の宿に、地元の若者たちが連日遊びに行き、役者の練習を見ながらこの踊りを覚えたのが始まりと言われています。

 主に地元の神社や寺などで例年奉納されるほか、依頼を受けて公演を行っています。
踊りは、花笠や番傘を持ち八木節の早い拍子に合わせて踊るとても激しい踊りで、大太鼓、小太鼓、笛、鉦、鼓のお囃子と音頭の歌声がとても賑Img_0247bgt やかな印象を与え踊りをいっそう盛り上げています。
 
 演目は、安笠、流笠、車笠、双笠、弓張笠などがあり、そのなかでも弓張笠は非常にダイナミックで華やかな踊りです。子どもたちは、弓張笠を踊ることを目標に日夜練習に励んでいます。

催行日
月29日(昭和の日)「徳蔵大師祭」
7月下旬の下赤沢地区にある鹿島神社の祇園祭り(隔年実施)

八木節源太踊りの紹介2(城里町)
(平成15年度茨城県郷土民族芸能の集い出演記録パンフレットより)
◆管理者:下赤沢民俗芸能保存会
◆所在地:七会村下赤沢150(現城里町)
◆指定:城里町指定無形民族文化財 平成10年4月23日指定

 明治38年日露戦争の戦勝記念に、栃木県芳賀郡茂木町の地芝居を七会村に招きました。
当時娯楽の少ない村では、若者が連日、一座の宿に遊びに行き、役者の練習を見ながらこの踊りを覚えたと伝えています。

 一座の演じた歌舞伎は、4幕12景でありましたが、その中に八木節源太踊りがありました。
それから2~3年後の鹿島神社の夏祭りで若者たちがこの踊りを演じるようになりました。
踊りの基本は、八木節であるので、テンポは速く、激しい踊りです。
今回は「安笠」、「流し笠」、「弓張り笠」を公開します。

茨城県郷土民族芸能の集い(2)浅川のささら(大子町)

◆平成21年度(第33回)茨城県郷土民族芸能の集い(3)浅川のささら(大子町)Img_009nsi
◆日時:[2009]平成21年11月28日(土)
◆会場:常陸太田市パルティーホール
◆目的:郷土伝統文化の普及と伝承

◎浅川のささら
 こんなによく跳ねる獅子舞はどこにもないのではないでしょうか、始めてみました。
10年くらい前、大子町に残る木造校舎や二宮金次郎像を収録していたころ、山裾の神社への入口に「浅川のささら」Img_0071keo の案内板をみて興味を抱き、いつかは取材したいと思いつつ、その機会がなく今日に至って、始めて見て感激した獅子舞です。

 浅川のささらは茨城県の最北の地八溝山の麓 大子町浅川地区に伝わる、一家の長男だけが継承する獅子舞で、熊野神社、近津神社の20年に一度の祭礼に際し、神輿の露払いとして演技する以外は門外不出となっているお祭りです。Img_0072bho

 獅子舞の舞台としては、しめ縄を張り、羽織袴の警護役が4名つく。
横笛役の羽織の襟袖に幣束を差しているのが独特。
獅子頭に取り付ける鶏の尾羽は1羽の鶏から2本しかとれない。尾羽を確保するため保存会で鶏を飼育していて、そのエサ代は大子町で負担していただいている。

この日、紹介された舞を順にメモするとImg_0079bau
舞1.かいどう・・・近津神社で神輿の出社のおり、露払いとして出社前に奉納される。
舞2.いれは・・・世の中の平和を祈る舞
舞3.うたたね・・全てのものの休息を意味する舞で、静かに舞う。
舞4.ふっくづし・・出陣を表現する勇ましい舞
舞5.すっこまい・・もっとも激しい舞
舞6.ししんまい・・勝利の喜びを表現している
舞7.とどのめ・・・締めくくりの舞
舞8.かいどう・・・神社にもどって舞うImg_0084low

◎浅川のささら (茨城県郷土民族芸能の集い出演者団体紹介パンフレットより:当日配布)
茨城県指定無形民族文化財
 浅川のささらは、大子町浅川の熊野神社、真弓神社および古来縁故のある下宮近津神社の祭礼に、神社の露払いとして出場する以外は門外不出となっている。
また、浅川の両鎮守の各20年に一度の正遷宮祭典に際しては、奉納獅子舞を演じるならわしになっている。Img_0085bhu
 獅子三頭は、太郎獅子、次郎獅子、女獅子と称し、笛の囃子に合わせて太鼓を打ちながら舞う。
獅子頭は水戸光圀公拝領のものと伝えられ、茨城県指定有形民族文化財となっている。

◎浅川のささらの由来 (淺川のささら保存会発行のパンフレットより:当日配布)
 淺川のささらは、大字浅川の熊野神社に伝わる獅子舞である。Img_0092rty
 伝承によれば、水戸義公の時代、久慈郡西金砂神社の田楽祭に当り、浅川のささらも自製の獅子頭で参加していたが、その際義公は領内の郷土芸能を鑑賞されており、浅川の獅子は、西金砂神社の獅子舞と共に義公の御前で演舞したところ、浅川の舞技巧妙を極めたので義公は大いに悦ばれ、褒美として公秘蔵の獅子頭三体を賜り、重ねて拝領の獅子頭でお礼のため再び熱演したところ、ますます公の御満悦を得、面目をあげて帰村したという。
現在の獅子舞がこの義公から拝領したもので、鎌倉時代の名工春日の作と伝えられる。Img_0096bgw
 
 獅子頭は現在熊野神社の宝物として収蔵庫に納められ、ささら獅子舞は浅川上・下の熊野神社、真弓両鎮守の出社祭典の時及び古来縁故のある下野宮近津神社の祭典には、神官の静粛なる清祓を受け神輿の露払いとして出場する以外は門外不出となっている。
また、浅川の両鎮守の各20年に一度の正遷宮祭典に際しては、奉納獅子舞を演じる慣わしになっている。

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 獅子三頭は、その名を太郎死獅子(浅川太郎)、次郎獅子(水戸保内次郎)、女獅子と称し、舞の序列は右から太郎獅子、女獅子、次郎獅子の順に並んで10種の舞を奉納する。その曲名もまことに古典的で、悠遠な日本歴史にふさわしい。
 即ち、
    1.かいどう    2.いれは   3.ひいらいとうらい   4.おひやらひやろうImg_0105bgk
  5.おかざき    6.うたたね  7.ふっくづし       8.すっこまい
   9.しいんまい  10.とどのめ
 の舞である。

 舞手は、三人揃の襦袢に襷をかけ、かるさん、手差し、白足袋、麻裏草履をつけ、獅子頭をかぶり、胸下に太鼓を抱きバチを持つ。
囃方の笛吹は4人、紋付羽織袴、白足袋、麻裏草履、背襟に幣束を差し横笛を持つ。Img_0118bhy
 
 この7名は村内の青年で、永住性のある嫡男の中から神への奉仕者として、身体健康で品行方正、思想堅実な者を決定する。
新旧の交代は、熊野神社20年毎の正遷宮祭典に際し、旧手によって新手を教育養成し、新手は次の正遷宮祭典まで20年間は獅子に関する芸能の保存維持継承の絶対的責任を果たす義務を負う習わしである。

Img_0124bgo

 このように堅い約束事として伝承されているので、選ばれた7名は期間中堅実な身持ちを続けなければならないわけで、自然生活態度にもある種の制約を伴うことになるが、選ばれたものはこれを一家の名誉と考えている。

 また祭日には、獅子の宿となる家は古来仮行宮の出切る所に近く、選ばれた宿の家もまたこれを名誉としている。
Img_0129bgo

 浅川のささらは、江戸時代元禄年間より300有余年の伝統を受け継ぐ郷土の民俗芸能である。熊野神社及び真弓神社の氏子。趣旨賛同者では、「浅川のささら保存会」を組織して、この貴重な郷土芸能の保護と伝承にあたっている。

2009年8月 5日 (水)

手古舞とは

手古舞とは
江戸時代の祭礼で、男装の女性が山車や神輿の先駆をして舞った舞、また、その人。
姿は男髷(おとこまげ)、右肩ぬきの派手な襦袢、伊勢袴、手甲、脚半、足袋、わらじというもので、背に花笠を掛け、金棒を突き、牡丹を描いた黒骨の扇を持ち木遣りなどを歌いつつ舞あるいた。

2009年7月31日 (金)

日本三大流鏑馬

笠間稲荷神社、鶴岡八幡宮、日光東照宮の流鏑馬は、日本三大流鏑馬ではなく、関東三大流鏑馬です。

日本三大流鏑馬は、京都の賀茂神社、大町の若一王子神社(長野)・・・と、鶴岡八幡宮です。

その他に日本三大山王流流鏑馬というのもあります。

2009年3月19日 (木)

03月:西金砂神社小祭礼の記録(1)「町田の火消し行列」の練習

 小祭礼は西金砂神社で816年に始まり、7年ごとの未年と丑年に行われ、天下太平、五穀豊穣を願います。
大祭礼では見られなかった「町田火消行列」や「花まとい」の華やかな繰込みが見ものです。

「町田の火消し行列」の練習 Img_6579c3_3
3月15日(日)晴天 午後1:00より 常陸太田市町田町の通りにて

 普段は閑散とした山間に時ならぬ賑わいが戻り、町田の通りには「町田火消行列」を見ようとする人々であふれていました。

練習に参加した役柄は
まとい頭、まとい振り3人、とび10人、梯子2人、釣瓶(つりかめ)1人、水籠(みずかめ)2人、長柄(ながえ)1人、草履取(ぞうりとり)1人、床几(しょうぎ)1人、はさみ箱1人、番傘1人、拍子木(?)7人、普段着姿での練習です。
実際の祭りには若衆、子供衆、下がり葉などを加えて100人ほどの大行列になり、それぞれの役柄によって、服装がきちんと決められています。

まとい振り Img_6616c3_3 
 ひげをはやしているのは威勢のよい伊達男の役柄のためか、ちょっと見には怖そうなまとい振りのおじさんが、力強くまといを振り難しい足の動作を繰り返します。
まとい頭は「しー、しー、しっとせー」と掛け声とともに片足立ちでバランスをとるような所作を行います。
まといの重さは30キロほどあるとか、頂上部が重いのでまといを振るのは至難の業のようで3人が交代で威勢良くまといを振ります。

とび、梯子 
 まとい振りに続くのはとび10名、さらに梯子、釣瓶、水籠などの道具をもった役柄が木遣り歌を大声で囃しながら、独特の動作をくりかえします。 Img_6628c3_2

♪おいらは町田の伊達男~それがうそなら聞いてみな~ドッコト メカショメカショ
♪はしごかつぎにほれたのは~ほれたら~ほれたといってくれ~ドッコト メカショメカショ

 もしかしてLove Songかも。
木遣り歌はよく聞きとれず、意味は定かではありませんが「♪夜這い・・・見つかって・・・ゲンコくらって・・・♪」などと歌われるところからすると「五穀豊穣・子孫繁栄」の願いが込められているのでしょうか。

 県指定無形民俗文化財になっている「町田の火消し行列」は7、年に一度の西金砂神社小祭礼の時にしか見られない、しかも祭典への繰込みの時に演舞するだけなのでぜひ見たいと思っています。
今回の繰込みは次の場所で披露されます。
3月20日 中染仮殿で
3月21日 和田祭場で
3月22日 天下野(けがの)で、西金砂神社大祭場で

[03月:西金砂神社小祭礼「町田の火消し行列」の練習]写真帖をご覧ください。

2009年1月26日 (月)

01月:どんど焼きとワーホイ

 小正月に火祭りを行う「どんど焼き」行事の名称は、茨城県県南県西地域では「どんど焼き」と呼ばれ、県北では「鳥追い」「ワーホイ」と呼ばれることが多いようです。
新聞記事その他から採取したところでは
高萩市秋山地区・・・・・「鳥追い祭り」
常陸大宮市盛金・・・・・「鳥追い祭り」
常陸太田市茅野根町・・・「鳥追い小屋」
常陸太田市上河合町・・・「鳥追い祭りワーホイ」
常陸太田市中利員町・・・「ワーホイ」
日立市会瀬町・・・・・・「浜の焚きあげ祭」
城里町小松小学校・・・・「ワーホイ集会」
城里町岩船小学校・・・・「ワーホイ集会」
那珂市鴻巣駅・・・・・・「ワーホイ祭り」
ひたちなか市足埼町蘇我神社・・「ワーホイ&鳥追い祭り」
ひたちなか市津田・・・・・・・「ワーホイ」
水戸市根本町・・「どんど焼き」
笠間市上郷・・・「どんどやき」
真壁町・・・・・「どんど焼き」
古河市雀神社・・「どんど焼き」
土浦市佐野子・・「どんど焼き」
河内町源清田・・「どんど焼き」
取手市利根川・・「どんどまつり」

 「どんど焼き」では、竹や茅・わらなどを積み上げて燃やし、長い篠竹に餅をさして、どんど焼きの火で焼いてたべる形式が多いようです。
「鳥追い小屋」「ワーホイ」では小屋を作り、その中で餅やこんにゃく田楽を焼いて食べる形式の地域もあります。
甘酒や豚汁がふるまわれる地域もあります。

 願い事は「五穀豊穣・家内安全・無病息災」を祈念し、田畑の害虫や害鳥を追い払うこと。

 また、「正月飾り」を燃やすことから、「歳神様を送る」意味があり、形態の違いはありますが、どんど焼きでは「歳神様」を、お盆には「ご先祖様」をおくる「送り火」の行事でもあります。

 日本の経済社会はグローバル化の名の下に外国資本に乗っ取られ画一化した感がありますが、日本独自の伝統行事は地域による多様性を大事に伝承したいものです。

2009年1月25日 (日)

享保雛

享保雛きょうほびな)Img_2832c3
江戸時代の享保年間(1716~1736)に流行した雛人形。
寛永雛を豪華に高級化したもので,
男雛は両袖を張ったデザインで、太刀を差して笏(しゃく)を手にしています。女雛は五衣(いつつぎぬ)、唐衣(からころも)姿で、袴は綿を入れて膨らませ、ボリュ-ムのある雛人形です。
享保雛は、大きく豪華なお雛様。じーっと顔を見てみると、瓜実顔で色白面長美人。金襴や錦の、実に豪華な衣装を身にまとっている。

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2008年10月 6日 (月)

11月:西塩子の回り舞台・組立中

開催日:平成20年11月8日と9日 Img_0983c3
会 場:常陸大宮市大宮公民館塩田分館グランド
県内で11月に開かれる第23回国民文化祭の催しの一つとして、農村歌舞伎をはじめ伝統芸能が披露されます。

その回り舞台の組立作業が大変な労力を必要とします。
地区の人たちが総出、勤めの休日や稲刈りの合間に組立作業にかかります。(10月5日撮影)

ドーム屋根の竹の骨組みが完成し、竹の美しい曲線と縄目が見事な出来映えです。Img_1021c3 

 主柱を立てるための穴はあらかじめ掘ってあって、鉄の蓋をして土を被せてあります。柱を立てる時には、グランドを掘り起こして柱を立て、ガタ止めのくさびを打ち込みコモでカモフラージュします。

 主要な部材である丸太の柱や梁は番線で縛り、その上に荒縄で縛られています。 Img_1068c3

 前後の2本の梁で竹の根元部分をてこの原理を利用して支えて中央部分には柱のないドーム状の屋根を実現させています。

回り舞台の組立Img_1009c3_2
 西塩子に残っていた江戸時代後期のものと思える組立式回り舞台は、舞台の床の一部を回転させ、瞬時に場面転換できる仕組みで、日本最古のものです。

文政3年製の大幕Img_1098c3
 10月5日には練習風景のテレビ収録があり、組立中の舞台に大幕が引かれました。

2008年8月 8日 (金)

08月:みなと八朔まつり(1)稚児・手古舞行列

祭り名;平成20年天満宮御祭禮Img_0205c3 みなと八朔まつり
神社名;
天満宮

☆祭の様子☆ 

行事日程
会場:ひたちなか市那珂湊市街地
平成20年7月31日(木)午前9時から
○年番龍之口町お宮参り(稚児・手古舞行列)

平成20年8月1日(金)午後6時から
○天満宮で例祭執行(天満宮にて)

平成20年8月2日(土)
○風流物(山車)巡行 午前9時から
○市指定無形民俗文化財・祭礼行列 午後5時30分から

平成20年8月3日(日)
○「みこし」お浜入り(和田町地先海岸)午前6時~午前10時
○風流物(山車)巡行 午前9時から
○市指定無形民俗文化財・祭礼行列 午後6時から

八朔祭
八朔とは、旧暦8月1日(朔日)の事で、今年の八朔は新暦8月31日ですが、八朔祭りの開催は必ずしも旧8月1日に固定していることもないようです。
 昔農作業を終えたこの頃に台風や病害虫の被害をこうむる事が多いため風雨を避け、順調な五穀豊穣を祈り豊漁を祈願して、地域の結束を強め家内安全を祈ることを目的として八朔祭を行う風習があります。
 天満宮祭礼行事のひとつとして、みなと八朔祭が行われます。
(昔、農作業・田植えは6月下旬から7月にかけておこなわれたのでしょうか。茨城県内数ヶ所の神社でお田植の祭事が伝承されていますが、7月に行われる神社があります。現在は5月連休が田植えの最盛期です。)

みなと八朔まつり 稚児・手古舞行列
 役員、稚児(男の子)、手古舞(女の子)など50人ほどが行列を組み、年番町龍ノ口町の事務所から出発、町内を回り天満宮へお宮参りです。天満宮で記念撮影後、さらに那珂湊の各町内を行列します。
最年少の女の子は4歳、とても夕方までは歩けない過酷な行列です。

 町内の人々は玄関先で手をふり、隣町の祭礼事務所前に差し掛かると最敬礼で行列を迎えます。

稚児・手古舞行列の構成
 先導車1台、役員2人、小頭:旗持ち一人、拍子木1人、金棒持ち2人、手古舞(女性5人、高校生2人、小学生6人?、幼児6人?)、稚児10人、役員10人、救護車1台。
行列の前後に交通整理役員4人。お囃子と町内への案内は先導車より流す。

 手古舞は長襦袢を右肌ぬぎ、 伊勢袴・手甲・脚絆・足袋・わらじを着けた装束で、花笠を背に、鉄棒(アルミ製ではない。8月3日に現地で手に持ってみたら案外重い物であった。ステンレス製か)を突き、 芸名を書いた提灯を持っています。前の女性は金棒で調子をとりながら歩いていきます。

 以前は那珂湊の芸者や17,8歳の娘が勢揃いしたが、最近は少子化のため4歳の幼児まで行列しなければ人数が揃わないそうです。
それにしても、小学生以下が那珂湊市中を夕方まで歩くというのはかわいそうなことです。

稚児・手古舞行列の意味
 お祭りでは山車の先導役として手古舞や金棒持ち(烏山山あげ祭りや日立水木のささらなど)がその役につきましたが、今日は山車や神輿がありません、手古舞行列だけです。
手古”舞”なので舞・踊りがあるかと訪ねましたが、舞・踊りはないとの返事でした。
これは推測するに、電話もテレビもないずっと古い時代に「明日からお祭りだよ、みんな見に来てね」とふれ歩く意味があったのではないでしょうか。

8月2・3日の神輿渡御行列では手古舞が露払いの役目を行います。

詳しい写真データは「08月:みなと八朔まつり 稚児・手古舞行列写真帖08」をご覧ください。

2008年6月 3日 (火)

05月:太田若宮八幡宮 春季例大祭 浦安の舞 豊栄の舞(茨城県常陸太田市)

05月:太田若宮八幡宮 春季例大祭

祭り名:太田若宮八幡宮 春季例大祭・奉賛会奉告祭Img_0305c3x
神社名;太田若宮八幡宮

場   所 :茨城県常陸太田市宮本町2344
取材日 :平成20年05月11日(日)
天 候 :時折小雨、寒気から山背が吹く寒い一日
日 程 :午前9時50分 法被着用 拝殿に参進
      午前10時から10時30分 祭典・奉賛会奉告祭斎行(拝殿にて)
      午前10時30分より 奉納奉楽(午前の部)
      午前11時50分より 直会・祝賀会(参集殿)
      午後1時30分より 奉納奉楽(午後の部)
奉納奉楽の内容Img_0309c3x
   鶴子舞(八乙女舞、浦安の舞、豊栄の舞)/特設舞台
   常陸太田地ばやし保存会(神楽殿)
   常陸太田おはやし連(境内)
   常陸太田相撲甚句会(神楽殿)
   

☆祭の見所☆

「浦安の舞」Img_0320c3
 「天地(あめつち)の 神にそ祈る 朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を」昭和天皇御製
戦争の気運が高まりつつある昭和15年、皇紀2600年祝典の際に、昭和天皇の御製を基に、時の宮内省楽長・多忠朝(おおのただとも)氏により作曲振付され、明治神宮に奉納されたものです。
名前の由来のように平和を祈るお神楽で、本来は4人か、8人の巫女が、上代の手振りを偲んで、厳かに、重々しく、典雅に舞うお神楽で、「扇の舞」と「鈴の舞」があります。

「豊栄の舞」Img_0324c3
 「朱(あけ)の雲わけうらうらと とよさか昇る朝日子(あさひこ)を 神のみかげと拝(おろが)めば その日その日の尊しや」
「地(つち)にこぼれし草の実の 芽生えて伸びて美(うるわ)しく 春秋飾る花見れば 神のめぐみの尊しや」

乙女舞とも言われ、 巫女は榊を右手に持って舞います。太陽に感謝し、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願う舞です。

2008年5月17日 (土)

05月:太田若宮八幡宮 春季例大祭八乙女舞(茨城県常陸太田市)

05月:太田若宮八幡宮 春季例大祭

祭り名:太田若宮八幡宮 春季例大祭・奉賛会奉告祭
神社名;太田若宮八幡宮

場   所 :茨城県常陸太田市宮本町2344
取材日 :平成20年05月11日(日)
天 候 :時折小雨、寒気から山背が吹く寒い一日
日 程 :午前9時50分 法被着用 拝殿に参進
      午前10時から10時30分 祭典・奉賛会奉告祭斎行(拝殿にて)
      午前10時30分より 奉納奉楽(午前の部)
      午前11時50分より 直会・祝賀会(参集殿)
      午後1時30分より 奉納奉楽(午後の部)
奉納奉楽の内容
   鶴子舞(八乙女舞、浦安の舞、豊栄の舞)/特設舞台
   常陸太田地ばやし保存会(神楽殿)
   常陸太田おはやし連(境内)
   常陸太田相撲甚句会(神楽殿)
   

☆祭の見所☆

「立鶴」
 鎌倉鶴岡八幡宮には、約800年の間、「八乙女も舞」(無形文化財)が祭りに奉納されています。

「舞鶴」
 太田若宮八幡宮には、義仁公と供に鶴子舞なる女性が鎌倉から来て祭祀を司ったとの言い伝えがあります。

「居鶴」
 秋田八幡神社には、明治時代まで、お祭りを司った鶴子なる女性の家系が続いていました。

「八乙女の舞」
 静御前が源義経を慕い舞を舞った跡に建立された鶴岡八幡宮の舞殿にて、氏子の子女が例大祭に奉納します。
 約800年の永きにわたって奉納され続け、無形文化財に指定されています。
鈴の持つ不可思議な強い霊力が、参詣者に及ぶよう鈴をひたすら振り続けます。

若宮八幡宮の巫女は昨年度鎌倉鶴岡八幡宮で習ってきました。

全国屈指の大けやきの新緑が空を覆いつくす境内に特設舞台が設けられ、氏子の子弟女子が雅な舞を披露してくれました。
(時折小雨、寒気から山背が吹く寒い一日)

鶴子舞について
 「佐竹義仁公が約600年前、鶴岡八幡宮の御分霊を舞鶴城中にまつる時に、鶴子なる女性が一緒に来てお祭りを司った」という伝えから、神前にて鶴子舞が舞われます。

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2008年4月22日 (火)

04月:摩多羅鬼神祭(資料)

Img_0624c3 祭り名;摩多羅鬼神祭
寺院名;雨引山楽法寺(雨引観音)

場   所 :茨城県桜川市木本
開催日 :平成20年04月13日(日)午前11時~午後12時30分

○2008年(平成20年)4月17日茨城新聞
「桜川・雨引山8年ぶりマダラ鬼神祭」「踊りと破魔弓360年の伝統」
 8年ぶりに行われた「マダラ(摩多羅)鬼神祭」は13日、桜川市本木の雨引山楽法寺境内で行われた。鬼神が現れて寺を再興したとの故事にちなみ、360年前から伝えられた伝統ある祭りで、京都・広隆寺の「摩多羅祭」とともに日本二大鬼神祭と称されている。

 鬼神祭は、馬に乗って真っ赤な衣装に身を包んだ鬼神が、赤鬼、青鬼など5人のけん族、約20人の稚児などを従えて寺の急な石垣を登ってスタート。沿道には、アマチュアカメラマンがカメラを構え、盛んにシャッターを切っていた。

 続いて鬼神とけん族による鬼踊りが披露され、鬼神らは本堂から境内に向かい破魔矢を放った。破魔矢を持ち帰ると御利益があるとされ、49本の矢が飛ぶごとに、大きな歓声があがった。

○2008年(平成20年)4月15日茨城新聞
 日本二大鬼神祭の一つとされる雨引山楽法寺のマダラ(摩多羅)鬼神祭が13日、桜川市本木の同寺境内でおこなわれた。360年以上の歴史を誇り、8年ぶりの復活。境内には大勢の信者や観光客、アマチュアカメラマンが詰め掛けた。

 文明4(1472)年春に同寺が火災に遭った際、鬼神が現れて七日七夜で現在の観音堂を再興したとの言い伝えが元になり、寛永18(1641)年から行われ、京都・広隆寺の「摩多羅祭」と並び称される鬼神祭。

 同寺では2000年に行われて以降、駐車場問題などで鬼神祭は見送られていた。合併による桜川市誕生などで地元から復活を望む声が高まり、駐車場を整備して開催にこぎつけた。

 馬に乗った鬼神を先頭に、約20人の稚児など約130人の行列が参道の急な石段を登り、護摩祈祷の後、鬼神と赤鬼や青鬼など5人のけん族と鬼踊りを舞った。

 クライマックスは、本堂から鬼神たちが放つ破魔矢。鬼神が放った49本の矢を持ち帰ると無病息災、家内安全に御利益があるとされ、人々は競い合って矢をとろうとしていた。

○2008年(平成20年)4月15日毎日新聞
8年ぶり摩多羅鬼神祭 ☆桜川
 日本二大鬼神祭の一つといわれる桜川市本木の雨引観音の伝統の行事「摩多羅(まだら)鬼神祭」が13日、8年ぶりに復活し、盛大に行われた。

 境内で護摩がたかれ、6人の赤鬼、青鬼が鬼踊りを披露。続いて本堂の回廊で鬼たちが「四苦を払う」の意味から49本の矢を天に向かって射った。参拝者らは無病息災、家内安全などに御利益があるとされる矢を競い合うように拾い合った。

 室町時代、同観音が炎上した際、摩多羅鬼神が現れ、7日7夜で再建したという故事にちなみ、1641年から続けられてきた。00年を最後に途絶えていたが、地元の人たちの要望を受けて復活した。

2008年4月18日 (金)

四苦八苦

四苦八苦(しくはっく)とは、仏教における苦しみの分類。
根本的な苦しみを生・老・病・死(せい・ろう・びょう・し)の四苦とし、四苦に加え、
愛別離苦(あいべつりく、愛するものと分かれなければならない苦しみ)、
怨憎会苦(おんぞうえく、憎んでいる対象に出会う苦しみ)、
求不得苦(ぐふとくく、欲しいものが得られない苦しみ)、
五蘊盛苦(ごうんじょうく、心身の機能が活発なため起こる苦しみ)の
四つを加えて八苦という。(ウィキペディアより)

般若心経に「照見五蘊皆空」(五蘊みな空なりと照見して)とという節があります。

2008年4月14日 (月)

04月:マダラ鬼神祭(茨城県桜川市)

Img_0624c3 祭り名;マダラ鬼神祭
寺院名;雨引山楽法寺(雨引観音)

場   所 :茨城県桜川市木本
開催日 :平成20年04月13日(日)午前11時~午後12時30分
天 候 :少雨 寒い

☆祭の様子☆ 

○マダラ鬼神登場
 雨が降り気温が低く待っていても体が震える、ホッカイロで暖をとりながら待つこと5時間 午前11時になると楼門からマダラ鬼神を先頭に行列が石段を登りはじめます。Img_0543c3_2

 最初に境内に登場したのは真っ赤なマダラ鬼神、馬に乗っての登場です。
次にけん族といわれる白鬼、赤鬼、茶鬼、緑鬼、紫鬼が手に松明を持って石段をのぼり、結界を通過後本堂に上がります。
かわいい稚児たちも無事に石段を登りきり、多宝塔前にお座りしました。

○柴燈護摩供養 Img_0589c3_2
 竹矢来の内側には、柴燈護摩壇がすえられ、そのまわりに檀家の人々や鬼神が並びます。
導師の続経の声、檀家代表のあいさつ、太鼓の響き、導師が抜刀してお祓い、護摩壇に点火、白煙もくもく、燃え盛る炎に塩をまいて供養、檀家の人々のお参り、護摩木を炊くなどの所作が行われました。
 この所作には厄除け、悪魔祓い、招福の願いが込められています。

○鬼踊り
護摩祈祷が終ると、導師、僧侶は本堂へ。Img_0618c3
摩多羅鬼神と赤鬼、白鬼など5人の眷属(けんぞく)は護摩壇の周りに位置取りし、手に持った松明に護摩壇の火を採火します。
この火のついた松明を振りかざしながら踊るわけですが、その動作は斧で木を切る動作を模しています。
摩多羅鬼神が「ドム」、鬼は「ホイ」と掛け声をかけながら、松明を振り上げ振り下ろし木を切る所作を行います。
1回の動作が終ると60度移動し、同じ動作を行います。これを3回180度の動作で踊りは終わり、松明を消して本堂へあがります。

実に簡単、6時間待っていた割りにはあっけなく、良いショットを撮る間なく展開していきます。

これは祭りではありますが護摩祈祷のうちのひとつの所作であって、庶民の祭りのような芸能ではないと考えられます。
(東金砂神社の田楽のうち「三鬼舞」というのがありますが、これも実に簡単、右に三回左に3回斧や鉄棒を振りかざすだけで終り、原初神事に近い形です。)

○破魔矢
 この祭りのクライマックスはやはり朱塗りの本堂の回廊から摩多羅鬼神たちが放つ破魔矢。
四苦を意味する49本の破魔矢を観客の頭上高く弓を引き放ちます。
鬼が5人と摩多羅鬼神 合わせて6人×8本=48本。残る1本は摩多羅鬼神が最後に放ちます。

破魔矢を拾って持ち帰ると無病息災、家内安全に御利益があるとされ、人々は競い合ってこの破魔矢を拾うことに力を注ぎます。
回廊のすぐ下の掲示板の影で幼い女の子二人が「わたしにもちょうだ~い、こっちこっち。」と手を振っていましたが、ちょっとあぶないですね。

☆祭の因由☆
安産と子育て祈願で知られる雨引山楽法寺(雨引観音)でめずらしいマダラ鬼神祭が行われました。
京都・広隆寺の摩多羅祭とともに日本二大鬼神祭の一つ雨引観音マダラ鬼神祭が八年ぶりに復活したものです。

下調べの折、楽法寺の住職から見せていただいた資料から転記すると
 「マダラ鬼神とは、漢にては摩多羅の字をあてるも、その源流は、印度の外金剛部(げこんごうぶ)の神にして、観世音菩薩の主宰し玉う「補陀洛(ふだらく)浄土」の守護神である。
  当山開創の砌(みぎり)、法輪独守居士(ほうりんどくしゅこじ)は、延命観世音菩薩を捧持して東支那海を渡航したとき、風雨にわかに荒く、大船将正に海中に没せんばかりであったが、法輪独守居士の「観音の称号」をとなえ奉る声に応じて摩多羅神が現われ玉い、船のへさきに立って波を静め航路を開いたと伝えれれている。Img_0587c3

 文明4年(1472)春3月、当山炎上の際(一説に応永3年ともいわれる)摩多羅神が現われ玉いて、鬼類を督して七日七夜にして荘厳な観音堂を建立したといわれている。
 摩多羅鬼神祭は、この鬼神の恩徳に報謝せんがために、寛永18年(1641)当住職尊海が時の老中松平伊豆守信綱(まつだいらいずのかみのぶつな)の庶弟であった縁を以って、幕府に願い出て許され、同年3月より、当山の年中行事の大祭として修業し来たったものであり、実に350年の伝統を有する北関東随一の大祭である。

 因みに当山の摩多羅鬼神祭は、京都太秦(うずまさ)の広隆寺の摩多羅祭と共に、日本二大鬼祭の一つといわれ、一方の広隆寺が、牛を使うのに対し、当山のマダラ神は馬にまたがる訳で、東西まさに正反対であることは、奇縁といわねばならない。

 尚、寛永の昔、この祭典をはじめるに当たり、時の老中松平伊豆守信綱が当山に寄進された袈裟は今日に伝えて、摩多羅鬼神祭の当日、マダラ鬼神が装着している。」

摩多羅鬼神祭の写真データは「04月:摩多羅鬼神祭08写真帖をご覧ください。

2008年3月31日 (月)

ガマの油売り口上

筑波山名物ガマの油売り口上 (平成20年3月29日古河桃まつりにて記録したものです)

本日はようこそ古河桃まつりにお越しくださいました。
これから演じまする筑波山名物ガマの油売り口上ですが、10分少々のお時間を頂戴して進めて参りたいと思います。

さて口上のルーツはといいますと、今から250年ほど前江戸時代中ごろのお話です。
常陸の国は筑波郡永井村 ただいまの土浦市永井に兵助(ひょうすけ)という頭の良い少年がおりました。

この少年こそが後に江戸に出て浅草などの縁日などでガマの油を言葉巧みに、最初に売り出した人であります。

従いまして、エーッエヘンこのガマの油売り口上初代名人は永井兵助というわけでございます。
ただいまの口上名人永井兵助は19代目を数えております。

テレビラジオの無かった時代に昔の人はどのようにして商品を販売したのでありましょうか?
大道商人の話芸をお楽しみください。

サアーッサアーッ お立合。
ご用とお急ぎでない方、またそちらのお急ぎの方もゆっくりと聞いておいで見ておいで。

遠目山越し笠のうち、聞かざる時には物の出方善悪隘路(あいろ)がとんと分からない。

山寺の鐘がゴ~~ンゴ~~ンと鳴ると言えども、童児一人来りて鐘に撞木を与えなければ、鐘がなるのか撞木が鳴るのか、打つ撞木か打たるる鐘か、鐘と撞木の鳴り較べ とんとその音色がわからぬのが道理。

サァテお立合 手前ここに取りいだしたるこれなるこのなつめ(抹茶の茶入れの一種、形がナツメ実に似ている。)
この中には一寸八分 唐子ゼンマイの人形が仕掛けてござる。

わが国に人形の細工師あまたありと言えども、京都にては   大阪表にては竹田結之助、近江の大乗は藤原のあそん、この両名をおいて上手名人はござりませぬけれども、手前のは近江のつむり細工で、もんどには8枚のコハゼをしかけ、背中には10と2枚の唐子歯車を仕組んでござる。

このナツメを大道に据え置くならば、天の光を受け、地の湿りをば吸い上げまして、陰陽合体ぱっとナツメのフタをとる時にはツカツカツカと進むが、虎の小走り、虎走り、後ろに下がって雀コマドリコマ返しに孔雀霊鳥の舞。

12通りの芸当が仕組んでござる。いかに人形の芸当が上手であろうとも投げ銭や放り銭はお断り申す。

手前大道にて未熟な渡世はしておるけれどもはばかりながら天下の素浪人。ドロのついた投げ銭放り銭をバタバタバタバタ拾ったとあってはこの男がすたる。

しからばお前さん投げ銭放り銭をもらわないで何を持って商売としておるのか、何をもっておまんまを食べとるのかと心配なさるお方がおるかもしれませんが、これなるこの看板の示す如くに筑波山妙薬は陣中膏 ガマの油、このガマの油の膏薬をば売りまして家業と致しております。

サテお立ち会い 手前ここに取りいだしたるは それなるその陣中膏はガマの油。ガマと言ったってそこにもいるここにもいるガマとは物が違う。

ハハァーンガマかい、ガマならおれんとこの縁の下、流し元、裏の竹薮にもぞろぞろいるといわれるお方があるかも知れないがあれはガマと言わぬ。

ただのヒキガエル、イボガエルかデングリガエルか、オッタマガエル、何の薬石効能はないよ。お立ち合い。

手前のはこれ四六のガマ、四六五六はどこで見分けるか。
前足の指の数が四本、後足の指の数が六本これを名付けて七面相は四六のガマだ。

サァテお立ち合い、このガマはどこに住むかと申すと、ご当地古河の里より遥か東は、常陸の国は筑波の国。

「つくばねの 峰より落つる みなの川. 恋ぞつもりて 淵となりぬる」
(<通釈>. 筑波山の峰から落ちる水が、やがてみなの川になり、末は淵となるように、私の恋. 心も、しだいに積もり積もって、こよなく深いもの思いになってしまった。)

陽成院によって歌われた古事記万葉の古より関東の名山として歌われておりまする筑波山のふもと、おんばこという露草・薬草を食らって育ちました。

さあてお立ち合い このガマからこの油をとるには、ガマを山中深く分け入って、捕らえきましたるこのガマを四面鏡張りの箱の中にガマを放り込む。

筑波山中においては「我こそは今業平かいやヨン様か」と闊歩いたしておりましたるガンマ先生、おのれの醜い姿が四方の鏡に映るからたまらない、ハハァ、オレは何と醜いヤツなんだろうとおのれの醜い姿を見て、びっくり仰天、巨体より油汗をばタラリタラリと流す。

これを下の金網鉄板に漉き取りまして、柳の小枝を持ってさんしち(3×7)は20と1日の間トローリトローリと煮たきしめまして、赤いシンシャにヤシ油、テレメンテーナ、マンテーカという唐天竺の南蛮渡来の油をばググーっググーっと混ぜ合わせて、練り合わせこしらえたのがお立ち合い、これ陣中膏はガマの油の油だ。

さあてお立ち合い  このガマの油の効能はというと、 ヒツにガンガサ、よう梅毒、ヒビ、アカギレ、シモヤケの妙薬。まだある。

前に参ればインキン、タムシ。後に参れば肛門の病。コウモンの病と言ったって、あの有名な水戸の黄門様が病気した訳じゃないよ。

肛門の病を詳しく言えばデジに、イボジ、ハシリジ、ケイカンジの他、切り傷一切 まだある。

どうだお立ち合い、お立ち合いのお宅に赤ん坊はおいでかな。赤ん坊のアセモ、カブレ、タダレなどには、手前のガマの油の入っている空き箱空箱つづり箱を見せただけでもピタリッと直るよ、お立ち合い。

これほど良く効くガマの油だけれども残念ながら効かないものが四つあるよ。

まずは恋の病と浮気の虫、後二つが、ハゲと白髪にや効かないよ。

おい油屋、お前さん効かないものばかり言っちゃって、もうガマの油の効能は終わりになったのではと心配なさる方もおりますけれども、そうではござりません。

も一つ大事なものが残っておりまする。刃物の切れ味をも止めてご覧に入れる。手前これここに取り出したるは我が家に昔から伝わる名刀。

正宗がヒマにあかせて鍛えたという代物である。実によ~く切れる。エ~イ!抜けば玉散る氷のやいば、刃こぼれ一つ無い。サァーどうだ。

ここにちょうど1枚の紙があるから切ってお目にかけよう。1枚の紙を切ってお目にかける。タネもシカケもございません。

はい一枚の紙が二枚と切れる、これ当たり前 二枚の紙が 四枚。しまいと言ったてこれでおしまいじゃないよ。これからがおもしろくなる。

はい四枚の紙が何枚?倍々となると4枚の次は何枚かな?(女の子が、8枚!)。正解おりこうさんだね。

八枚、八枚と切れる。 八枚の紙が八枚の次は何枚かな?おじさんわすれちゃったんだ。(女の子が、16枚!)。正解十と六枚、おっ頭いいね、将来有望ですね。 

十六枚がエィッと三十と六枚、あッ十六の次は三十二枚ですね、おじさんはだめだ、頭が悪いから。

はい三十と二枚が、三十二が六十と四枚 六十四枚がエイ、エイ一束と二十八枚。
後は細かく微塵切。ほ~れこの通り、実に細かくようく切れた。

ふっとちらせ ば比良の暮雪か、嵐山には落花の吹雪とござ~い。おたちあい。

さぁ~てお立ち合い。これほどよく切れる天下の名刀だけれども、ひとたびこのガマの油をつけるときにはたちまち切れ味が止まる。

さし裏、さし表につけまする、さあどうだ。たたいて切れない。押しても引いても切れやしない。

さぁ~てお立ち合い。お立ち合い中にそのお前のガマの油というものは、切れるモノをただなまくらにするだけのものだという方があるかもしれないが、手前大道商人はしている、金看板は天下御免のガマの油売り」、そんなインチキはやりません。

このようにきれいにふき取るときには、元の切れ味となる。それでは二の腕を切ってごらんにいれる。エイ!アイタッタッタッ。ハイこのとおり。

触っただけでも、赤い血がタラリタラリと出る。しかし心配はいらない。ここにガマの油があるから、ちょっと一塗りする時には、赤い血はピタリと止まる、血止めの薬でございます。

ハイ、ご覧の通りでございます。

さぁ~てお立ち合い、お立ち合いの中にそれほど効き目新たかなガマの油はいったい一買いいくらだろうとおっしゃる方があるかもしれないが、本日ははるばる古河の里に出張っての大安売り。

男は度胸、女は愛嬌、坊さんお経で、山でウグイス ホーホケキョ。
清水の舞台ならぬ筑波山のてっぺんからまっさかさまに飛び降りたと思って、本来なら一買いが200文のところを半額の100文でどうだ。さあどうだ。

このようにガマの油の効能がわかったら遠慮は無用だ。さあわかったらどぢどし買ったり買ったり。

以上で口上のあらましは終わりになりますが、本日ご覧くださいました皆様方のますますの健康とご発展を祈念申し上げまして、私の口上を終らしていただきます。誠に有難うございました。

2008年3月22日 (土)

子ども民俗芸能交流会 水木ささら

第1回子ども民俗芸能交流会 文化を受け継ぐ・伝統を育むこころ
開催日:平成20年3月16日(日)午前10時50分から午後3時(昼休み無し)
会 場:大和ふれあいセンター(シトラス)ホール
    桜川市羽田989-1

<b>水木ささら保存会</b>演目は「ささら舞」 Img_875c32
 水木ささらは、日立市水木町に鎮座する泉神社のご出社大祭のときに露払いとして神輿を先導する一人立三匹獅子舞です。
日立市内七つの集落に伝えられている獅子舞の一つです。
五穀豊穣や浜大漁、住民の安寧を祈って奉納されます。
舞の構成は、大獅子、中獅子、雌獅子の3頭と華やかに飾り付けられた「しゃぐま」が2~4人、このほかに金棒ひき、しの笛と警護が数人つきます。

日立のささら 茨城県指定無形民俗文化財
宮田ささら、会瀬ささら、大久保ささら、助川ささら、諏訪ささら、水木ささら、成沢ささら

2008年3月20日 (木)

春分の日 彼岸

 今日「春分の日」は、太陽が真東から出て真西に沈む日です。
昼と夜の長さが同じになる日とも言われていますが、実際には昼の方が10数分長く、同じになるのは春分の約4日前の日になります。

 天文学では「春分の日」が「春」の始まりとされ、ヨーロッパ西暦では3,4,5月を「春」としています。
 これに対して東洋では「立春(2月4日前後)が「春」の始まりで、「春分の日」は春の真ん中にあたる日になります。

 春分の日と秋分の日をそれぞれ「中日」として、前後3日を合わせた7日間を「春の彼岸」「秋の彼岸」と呼び、先祖の墓参りをしますが、彼岸の語源は「日願」で、太陽に願を掛ける日であったとする説が見直されています。

 彼岸に付き物の「ぼたもち」と「おはぎ」はdふぉちらも同じもの。春の彼岸の頃には牡丹の花が咲くので「牡丹餅(ぼたもち)」と呼び、秋の彼岸の頃には萩の花が咲くので「お萩」と呼んだと言われています。
(社団法人倫理研究所・職場の教養・2008-3-20より)

四国徳島では「ぼたもち」も「おはぎ」も「ぼたもち」と言ってます。

2008年3月18日 (火)

03月:第1回子ども民俗芸能交流会 中田永代太々神楽

第1回子ども民俗芸能交流会 文化を受け継ぐ・伝統を育むこころ
開催日:平成20年3月16日(日)午前10時50分から午後3時(昼休み無し)
会 場:大和ふれあいセンター(シトラス)ホール
    桜川市羽田989-1

中田永代太々神楽  古河市 中田永代太々神楽保存会Img_8733c3
演目は「第二座 五行の舞(ごぎょうのまい)」
「第三座 那岐・那美(なぎ・なみ)の舞」
  (伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)の舞」)

 古河市中田町の鶴峯八幡神社に継承されている永代太々神楽。
江戸時代中期の享保10年(1725)に起こり、近郷近在の神職たちにより例大祭の時に奉納されてきました。
 神楽は「出雲流神楽」で「十二座神楽」とも呼ばれ、神話の天地開闢(てんちかいびゃく)の舞をはじめとして日本神話に登場する神々の舞です。
 無病息災、五穀豊穣、家内安全を祈願して奉納さています。

※五行の舞(ごぎょうのまい)、那岐・那美(なぎ・なみ)の舞の解説

柳橋岩戸神楽  (柳橋永代太々神楽)より
古河市柳橋(旧猿島郡総和町) 愛宕神社

第二座 五行の舞
 中央に黄色い幣束がおかれている。
そこに素面で、青、赤、白、黒の幣束をもち、右手に鈴の四人の舞手が現われる。
青は東、赤は南、白は西、黒は北の方角を、中央の黄色は土の神を表す。
 また、天地創世に必要な五元素を意味するともいわれ、黄の幣束の周りを舞うことは、国を堅固にすうるための舞であるといわれる。

第三座 那岐那美(なぎなみ)の舞
 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の二神が榊と鈴を持ち、中央と四方で右廻りや左廻りの舞を舞う。
 神々を生み出したとされているこの二神の喜びを表したもので、子孫繁栄あるいは開運を祈る舞である。

柳橋岩戸神楽(茨城県古河市)

柳橋岩戸神楽  (柳橋永代太々神楽)
古河市柳橋(旧猿島郡総和町) 愛宕神社

第二座 五行の舞
 中央に黄色い幣束がおかれている。
そこに素面で、青、赤、白、黒の幣束をもち、右手に鈴の四人の舞手が現われる。
青は東、赤は南、白は西、黒は北の方角を、中央の黄色は土の神を表す。
 また、天地創世に必要な五元素を意味するともいわれ、黄の幣束の周りを舞うことは、国を堅固にすうるための舞であるといわれる。

第三座 那岐那美(なぎなみ)の舞
 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の二神が榊と鈴を持ち、中央と四方で右廻りや左廻りの舞を舞う。
 神々を生み出したとされているこの二神の喜びを表したもので、子孫繁栄あるいは開運を祈る舞である。
(現地で配布のパンフレットより転記)

出雲-鷲宮の流れを汲む十二座神楽。平成3年に復興。

演目は、「奉幣之舞」、「五行之舞」、「那岐那美之舞」、「翁之舞」、「猿田之舞」、「蟇目(ひきめ)之舞」、「天狐白狐之舞」、「稲刈之舞」、「蛭子(ひるこ)之舞」、「尉(じょう)之舞」、「磐戸開之舞」、「山神之舞」

03月:第1回子ども民俗芸能交流会 真壁祇園囃子

第1回子ども民俗芸能交流会 文化を受け継ぐ・伝統を育むこころ
開催日:平成20年3月16日(日)午前10時50分から午後3時(昼休み無し)
会 場:大和ふれあいセンター(シトラス)ホール
    桜川市羽田989-1

真壁祇園囃子 真壁小学校 お囃子グループ
演目は「ぶちかけ」「おかめ」「みんば」「きっちょい」「さんぎり」「ひょっとこ」
 桜川市真壁地区を舞台とする夏祭り真壁祇園祭典では、各町の山車ごとににぎやかなお囃子が演奏され祭りを盛り立てます。
 普段は町内ごとに練習していますが、真壁小学校6学年の総合学習では、このお囃子をとり入れてグループを結成し、大太鼓1、小太鼓2、笛1、鉦2で演奏を披露します。
 真壁祇園祭典は「五所駒瀧神社の祭事」として国選択無形民俗文化財となっています

「たくさんの人に感動をあたえるお囃子のすばらしさを伝えたい」

詳細データは「03月:第一回子ども民俗芸能交流会 真壁祇園囃子08写真帖」をご覧ください。

2008年3月17日 (月)

03月:第1回子ども民俗芸能交流会 常盤津「将門」

第1回子ども民俗芸能交流会 文化を受け継ぐ・伝統を育むこころ
開催日:平成20年3月16日(日)午前10時50分から午後3時(昼休み無し)
会 場:大和ふれあいセンター(シトラス)ホール
    桜川市羽田989-1

 西塩子回り舞台保存会 常磐津教室 演目は「将門(まさかど)」 Img_8546b4
常陸大宮市の回り舞台は、丸太と青竹を縄で結わえて組み立てられた巨大なドーム型の回り舞台で、日本最古の組立式の農村歌舞伎舞台です。
 平成9年、江戸時代後期の道具を使い、半世紀ぶりに組み立てられました。
それを機会に、地元で歌舞伎の公演に取り組み、子どもたちも「子宝三番叟」「白浪五人男」、常磐津「将門」などの歌舞伎を披露しています。
(西塩子回り舞台は茨城県の 有形民俗文化財に指定されている。)

常陸大宮市 西塩子回り舞台保存会・常盤津教室の子どもたちが「将門」を見事に演じきりました。拍手喝采です。

常磐津「将門」 
本名題を「忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの)」といい、常盤津の代表曲の一つ。

平将門滅亡の後その娘、滝夜叉姫(たきやしゃひめ)は、ガマの妖術を使ってお家の再興を図ろうとします。
平将門の残党討伐に下総まで下ってきた大宅太郎光圀(おおや たろう みつくに)を、将門の遺児滝夜叉姫(たきやしゃひめ)がガマの妖術と色香をもってたぶらかし、味方に引き入れようとするが見破られてしまうという筋書きで、壮大な怪奇美にあふれた舞踊劇です。

この曲は浄瑠璃も踊りも最高傑作とされる曲であり、栃木県烏山の山あげ祭りには数多く演じられています。

03月:第一回子ども民俗芸能交流会 「西塩子回り舞台・将門」08写真帖をご覧ください。

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常磐津「将門」あらすじ

「忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの)―将門」(常磐津)

本名題を「忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの)」といい、常盤津の代表曲の一つ。天保7年(1836年)7月に市村座で初演された。作詞は宝田寿助、作曲は四世岸沢武佐。

平将門滅亡の後その娘、滝夜叉姫(たきやしゃひめ)は、ガマの妖術を使ってお家の再興を図ろうとします。
残党討伐に下総まで下ってきた大宅太郎光圀(おおや たろう みつくに)を、将門の遺児滝夜叉姫(たきやしゃひめ)がガマの妖術と色香をもってたぶらかし、味方に引き入れようとするが見破られてしまうという筋書きで、壮大な怪奇美にあふれた舞踊劇です。

この曲は浄瑠璃も踊りも最高傑作とされる曲であり、栃木県烏山の山あげ祭りには数多く演じられています。

かつて、平将門が本拠地とした相馬の御所(現在の茨城県坂東市付近?)、平将門が滅んだ今となっては見る影もないこの廃墟を背にして、ガマから傾城姿(太夫の姿)の滝夜叉姫が現れます。

また大宅太郎光圀も登場し、滝夜叉姫に声を掛けられた光圀は、古御所に棲みついた妖怪と疑うが、彼女は島原の傾城・如月(きさらぎ)と名乗り、後を慕って追いかけてきたとなまめかしい姿になります。

光圀は彼女を将門ゆかりの者と直感し、わざと打ち解ける風を見せて将門の戦の模様を語ってみせます。

その話を聞いた滝瀧夜叉姫は涙を流して無念の形相を見せるので、光圀がすかさず突っ込むが、彼女は笑いに紛らせて廓話し(くるわばなし)を始めます。

しかし、瀧夜叉が落とした相馬錦の旗が証拠となり、光圀は更に問い詰めます。
さすがの滝夜叉姫も言い抜け出来ず、光圀を色仕掛けで籠絡し、味方に引き込もうとしたことを白状すると、ガマの妖術を使って消えて行きます。

廓話(くるわばなし)

廓話(くるわばなし) “廓”というのは江戸時代の“遊郭(ゆうかく)”と呼ばれる一種の男女の社交場のような場所の事であり、そこにいる遊女とお客の間の喜怒哀楽を描いた話が“廓話”と言われ、落語で多く語りつがれています。

03月:子ども民俗芸能交流会 三和祇園囃子

第一回子ども民俗芸能交流会 
開催日:平成20年3月16日(日)午前10時50分から午後3時(昼休み無し)
会 場:大和ふれあいセンター(シトラス)ホール
    桜川市羽田989-1

三和祇園囃子 三和祇園囃子諸川子ども会 
演目は「からす」「おかざき」「ぶっきり」「てんまり」Img_8444b4
 古河市諸川にある長宮神社の夏の祭礼に演奏される祇園ばやし。
永享10年(1438)ごろ始まったと伝えられています。
五穀豊穣、災厄防除、悪疫退散の願いを込めて奉納されたもの。
 その昔、加波山神社の祭礼にも法楽されたことから、明治年間まで「加波山ばやし」ともよばれました。
 太鼓1、小太鼓・つけ太鼓3、大鼓(おおつつみ)・大皮6、小鼓(こつつみ)・小皮14、笛1で構成されています。
三和祇園囃子は茨城県無形民俗文化財に指定されています

03月:第一回子ども民俗芸能交流会 「三和祇園ばやし」08写真帖」をご覧ください。

2008年3月16日 (日)

二人三番叟

二人三番叟 上演床本
天下泰平、五穀豊穣を祈願するご祝儀の舞で、浄瑠璃の幕開けの舞として最初に行われます。
能の「翁」と狂言方が舞う「三番叟」を義太夫節にしたものです。
三番叟はまず四方と中央を清め、太夫の語りにのってにぎやかに舞います。
やがて鈴を持って四方に種を蒔く頃から舞に疲れて休む三番叟、それを無理矢理立たせる三番叟、ともにユーモラスに最後は揃ってめでたく舞納めます。

それ豊秋津洲の大日本
国常立の尊より天津神七世の後
地神の始め天照らす御神
おさえおさえ おお悦びありや悦びありや
わがこの所よりも他へはやらじぞと思う

そなたこそ 初日は諸願満足円満
二日の日はまた二つ柱 うづめのみこが
一 二 三 四 五 六 七 八 九 十
百千萬の舞の袖 五月のさ女房が笠の端をつらねて
早苗おっとり打ち上げて謡うた
千町万町億万町
田をぞんぶりぞ 田をぞんぶりぞ 
ぞんぶりぞ ぞんぶりぞ ぞんぶりぞ
御田を植えるならば笠買うて着しょうぞ
笠買うてたもるならば なおも田を植えうよ
三日は福徳寿福円満 子徳人の子宝
車座に並べたたつまついるいまつかいつくひっつく
火打ち袋にぶらりと付けて候ぞ

これ式三の故実にて 三日これを舞うとかや
柳は緑花は紅 数々や浜の真砂は尽きるとも
尽きせぬ和歌ぞ敷島の神の教えの国津民
治まる御代こそめでたけれ

03月:子ども民俗芸能交流会 「子ども二人三番叟」

文化を受け継ぐ・伝統を育むこころ 子ども民俗芸能交流会 
開催日:平成20年3月16日(日)午前10時50分から午後3時(昼休み無し)
会 場:大和ふれあいセンター(シトラス)ホール
    桜川市羽田989-1

真壁小学校 人形浄瑠璃みらい座 「子ども二人三番叟Img_8414b4_4
 桜川市真壁町白井地区には江戸時代末期に始まった人形芝居があります。
平成16年「人形浄瑠璃真壁白井座」として80年ぶりに再演されたのを機会に、真壁小学校でも6学年の総合学習の時間に「みらい座」を結成。
「二人三番叟」は五穀豊穣、天下泰平を祝うにぎやかな舞です。
1体の人形を3人で動かす人形遣い、太夫、三味線の3部門が心を一つにして演じます。

 ・・・よろこびありやよろこびありや・・・めでたけれ・・・
人形遣いは主遣い、左遣い、足遣い3人の息があって芸の見せどころをうまくできました。
三味線は5人の調子がそろってお見事、太夫は台本を見ないで義太夫節を最後まで語り終えたことはすばらしい、しっかり勉強してきたことがうかがわれます。

 「真壁小学校 人形浄瑠璃みらい座 子ども二人三番叟写真帖をご覧ください。

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03月:第1回子ども民俗芸能交流会(桜川市)

第1回子ども民俗芸能交流会 文化を受け継ぐ・伝統を育むこころ
開催日:平成20年3月16日(日)午前10時50分から午後3時(昼休み無し)
会 場:大和ふれあいセンター(シトラス)ホール
    桜川市羽田989-1
入場無料
主催:子ども民俗交流事業実行委員会
    〒300-4408茨城県桜川市真壁町真壁57-1 
    桜川市歴史民俗資料館内
共催:(財)げんでん ふれあい茨城財団・茨城県教育委員会
     ・古河市教育委員会・日立市教育委員会
     ・常陸大宮市教育委員会・桜川市教育委員会
後援:茨城県・桜川市・桜川市文化協会・茨城新聞社
     ・NHK水戸放送局・IBS茨城放送
協賛:文化庁委属事業 桜川市伝統文化こども教室

☆開会式
   ・開会の言葉 桜川市小学校お囃子グループ
 ・主催者あいさつ 
   実行委員長 市村恒(人形浄瑠璃真壁白井座保存会長)
 ・来賓あいさつ 桜川市長 中田浩

☆交流会
 1 子ども二人三番叟    
    桜川市 真壁小学校人形浄瑠璃みらい座
 2 三和祇園囃子        
    古河市 三和祇園囃子諸川子ども会
 3 常盤津「将門」        
     常陸大宮市 西塩子回り舞台保存会 常盤津教室
 4 真壁祇園囃子        
     桜川市 真壁小学校お囃子グループ
 5 中田永代太々神楽     
     古河市 中田永代太々神楽保存会
 6 水木のささら         
     日立市 水木ささら保存会
 7 加波山囃子         
     桜川市 大曽根加波山囃子保存会

  8 賛助公演 人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段」 
      桜川市 人形浄瑠璃真壁白井座保存会

☆閉会式
 ・閉会のことば 
   桜川市 真壁小学校人形浄瑠璃みらい座
 ・主催者お礼のことば 
   実行副委員長 大貫孝夫(西塩子回り舞台保存会長)
 ・花束贈呈(ロビー) 
   桜川市伝統文化子ども教室 いけばなこども教室

☆文化庁委属事業 桜川市伝統文化こども教室発表会 会場ロビー
 1 きっさこ・子ども茶会 10時から11時
 2 花・こころ展      10時から15時
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2008年2月25日 (月)

02月:嵐除祭08(茨城県常陸太田市)

祭り名;嵐除祭
神社名;東金砂神社

日時:平成20年2月11日(月)午前11時~12時30分
場所:東金砂神社境内田楽堂(常陸太田市天下野(けがの)町)

☆祭の様子☆ 
「嵐除祭」では嵐や災害を取り除き豊作豊漁を祈願をします。Img_6379a6
「田楽舞」は国指定選択民俗芸能、茨城県指定無形民俗文化財です。
神事は氏子や日立市水木講中の代表、参拝客が古式ゆかしい祭礼を見守りました。

神事に続き、浜方が東側、陸方が西側の田楽堂の羽目板をぶち抜く年占いも行われました。どちらが早く打ち抜くか。
今年は浜方が先に羽目板を打ち抜き、「浜大漁、陸満作」の宣告がなされました。

田楽舞は天孫降臨の故事にちなんでいます。その演目は
「四方固め」・・・・猿田彦が太刀、柄太刀、矛などを順に持って四方を固め、天下泰平を祈る舞
「獅子舞」・・・・・・祭神である大国主命の面を付け、獅子を手なずけ(獅子は荒ぶる神を表す)、稲の豊作を祈る所作
「巫女舞」・・・・・・巫女の面をかぶり両手に神楽鈴を持って神様を慰める舞
「三鬼舞」・・・・・・赤鬼、黒鬼、青鬼が荒々しく振る舞い、護摩もちをさらっていく。

田楽舞の後、神猿が焼いたお餅(割り箸に刺した真っ黒のお餅)をさい銭と交換する参拝客で大賑わい。これにより今年の無病息災を願うものです。

金砂大祭礼(72年に一度開催)では見るのが大変だった「田楽舞」が毎年見られます。

詳細データは「02月:嵐除祭06写真帖」
        「02月:嵐除祭08写真帖」をご覧ください。

2008年2月12日 (火)

02月:修多羅寺節分祭08(茨城県城里町)

祭り名;修多羅寺節分祭 
寺院名;修多羅寺

場   所 :茨城県城里町小勝(おがち)(旧七会村)
開催日 :平成20年02月03日(土)午前10時30分~午後12時30分
天 候 :雪、積雪5cm以上

☆祭の様子☆
 修多羅寺で節分祭が行われ、磯野住職ら四人の僧侶が冷水をかぶり水行を行いました。(平成19年では三人)。Img_5922b4
磯野住職によると「酷寒の中で水をかぶるのは、人々の願いをかなえ、苦しみを無くすには、自らの身を清めなければならない」という意味が込められています。

10時30分~水行
11時00分~ご祈祷
12時00分~豆まき

参加者は破魔弓などを授けられ、今年一年の家内安全や無病息災を祈願しました。
(一年の計は節分にあり。)

*平成20年2月3日追記*
雪の降りしきる中 水業が行われ、後に豆まきがありました。
常陸太田で雨、久慈川を越えて那珂市に入ると雪、城里町では一面白銀の世界に。修多羅寺付近ではさらに積雪が多い。
お寺の長い屋根に積もった雪は雪だるまになって落下、下で遊んでいる子どもにあたり、泣き叫ぶ。
しかし水業が始まると、その雰囲気のただならぬことを察して厳かな雰囲気になる。
住職はじめ4人の僧が読経の後、気合いを入れて手桶で水をかぶる。
シブキがはねる、カメラは濡れるが怯まずシャッターを切る。
軌道修正している暇は無い、とにかくシャッターを切る。
フィルム12枚デジカメ30枚撮った頃、水業は終わる。

石碑に開祖「天目上人」のことが刻印されています。
「正安2年(1300年)開山で当初は本門寺と称した。
徳川光圀の時、寺領5石の朱印が与えられ、毘沙門天が寄進され、寺号を修多羅寺と改名。
水戸家武運長久の祈願所となった。」(城里町公式ホームページより)

本堂でご祈祷、厄払いをしてもらいお札破魔弓を授かります。
豆まきは20年ほど前から、水業は15年ほど前、今の磯野住職が始めたそうです。

詳細写真データは下記をご覧ください。
02月:修多羅寺節分祭08写真帖

02月:修多羅寺節分祭07写真帖

02月:修多羅寺節分祭水行07写真帖

2008年2月 5日 (火)

01月:茅根町鳥追い小屋(茨城県常陸太田市)

日時:2008年1月19日(土)午後5:00~6:45(平成20年)
場所:常陸太田市茅根町のたんぼ

昔懐かしい鳥追い小屋で親子のふれあいを。
伝統行事を体験することにより、子供たちの思いでづくり、地域住民の交流を目指して、途絶えていた小正月の行事を復活させて14回目の鳥追いが行われました。
1週間前に地域の大人が3っつの鳥追い小屋を設営、材料は篠竹、カヤなど。
19日朝から親子が協力して餅つきや繭玉つくりを体験し、
午後5時から実行委員長、町内会長、大久保市長の挨拶で行事が始まり、小屋の中は子供たちのおしゃべりで賑やかになりました。

「鳥追い祭り」な東北地方や関東地方ふ古くから伝わる正月行事で、茨城県内では「ワーホイ」「どんど焼き」とも呼んでいる地域があります。
「鳥追い祭り」はカヤで小屋を造ることからその呼び名になったものと思われます。
「どんど焼き」「ワーホイ」は小屋を作らず、カヤを積み上げて燃やし、長い竹竿の先に餅をつけて焼きます。

午後6時半子供たちも遊びに着かれた頃、鳥追い小屋に点火されます。
風向きを見て、南側から順に火が付けられました。
カヤと篠竹で作られた小屋は瞬く間に燃え上がり、篠竹が破裂するパチパチという音が闇をつんざきます。
鳥も虫も驚いて退散するほどの爆音であります。

鳥追い小屋が燃え尽きる頃、終わりの会。
子どもたちから父兄へのお礼「鳥追い小屋を作ってくれてありがとう、たのしかったです。」
お土産のお菓子と、繭玉をもらって家路に。

詳細データは写真帖をご覧ください。
01月:茅根町鳥追い小屋08写真帖

01月:茅根町鳥追い小屋07写真帖

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2007年7月24日 (火)

07月:真壁の祇園祭(茨城県桜川市)

祭り名:真壁の祇園祭   神社名;五所駒瀧神社
場  所 :茨城県桜川市真壁町
開催日  :毎年7月23日~26日
(国の無形民俗文化財)

☆祭の見所☆Img_1533a6
五所駒瀧神社から神輿の渡御行列に古の趣があります。また若衆による山車の引き回しは「あばれ花車」と呼ばれ勇壮そのものです。

☆祭の由来☆
五所駒瀧神社は承安年間(1171~74)真壁氏の氏神として創建され、お祭りは約400年の伝統があります。

☆祭の日程☆

7月23日(月)御輿渡御
7月24日(火)神社参拝
7月25日(水)若衆山車曳き回し
7月26日(木)御輿還御

☆撮影ポイント☆
五所駒瀧神社からの渡御は午後4時出発ですが、神社の杜の中は薄暗く撮影にストロボが必要です。

真壁の祇園祭写真帖」はこちらをクリックしてください。

取材履歴;平成19年7月23日(月) 平成15年7月25日

2007年5月 6日 (日)

05月:花園のささら(茨城県北茨城市)

祭り名;花園のささら 神社名;花園神社
(北茨城市指定無形文化財)

場   所 :茨城県北茨城市華川町花園567(花園神社と地区の御仮屋周辺)
開催日 :平成19年05月05日(土)午前10:00~(毎年5月5日)
花園神社への地図
(取材日:平成17年05月05日撮影の写真を掲載しました。)

☆祭の様子☆
 奥深い山の花園神社の境内にはピンク色のシャクナゲ、渓谷にはヤマブキが咲き、木々は新緑の清々しい季節に行われるお祭りです。

*三匹獅子
8才から13才までの男の子が角2本の親獅子・奇獅子、角一本の雌獅子を演じる三匹獅子舞です。
鞨鼓を抱かない、お囃子は大人が笛と太鼓で囃します。
獅子舞の衣装はシャクナゲの色と同じで少年が女の子かと見紛う、囃し手は着流しに黄色いたすき掛け、笠をかぶる趣のある衣装です。

*1回目の獅子舞は持ち回り「ヤド」の庭で行われ、激しい動きに少年たちは汗だくになります。(「ウルトラマンのシュワッチ!」に似た動作が特徴的です。)
一休みの後、御輿、神主など一行で花園神社まで行列してのぼります。

*2回目の舞は巨杉の荘厳な花園神社境内で行われ、囃し手の笛の音が凛として響きます。

*3回目は下ってきて御仮屋前で行われ、最後に餅まきなどがあります。

花園ささら写真帖」はこちらをクリックしてください。

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2007年4月 3日 (火)

04月:日立さくらまつり(茨城県日立市)

会期:平成19年4月1日(日)~20日(金)
場所:神峰公園、平和通り、十王パノラマ公園

たのしいイベントが用意されています。
詳しくは<a href="http://www.mito.ne.jp/~h-kanko/">「第46回日立さくらまつりイベント情報」</a>をご覧ください。

日立駅前からの平和通りには115本のソメイヨシノが植えられ焼く1kmの桜のトンネルになります。
樹齢50漢0年の大木で花の数も多く、4月7日~8日には桃色通りを散歩することが出来ます。

(写真は平成18年4月8日撮影分)

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2007年3月21日 (水)

03月:青い妖精「舟曳き祭り」と「巫女舞」(福島県耶麻郡磐梯町)

祭り名:舟引き祭りと巫女舞  神社名;磐梯神社
(福島県重要無形民俗文化財)

場   所 :福島県耶麻郡磐梯町 磐梯神社境内
開催日 :毎年3月21日(春分の日)12時~15時
取材日 :平成18年03月21日

☆祭の見どころ☆
 なんと巫女舞の衣装がブルー 、青い妖精の舞が見られます。

☆祭の様子☆
 この日は11時頃より大変な雪が降り、帰る頃には車がすっぽりと雪に覆われました。
巫女舞役の女の子たちは長靴をはき、すそをたくし上げて、難儀しながら神社に集まりました。

*巫女舞*12:15~
巫女舞は幼稚園から中学生までの女の子が舞い手となり、お囃子は太鼓、小太鼓、つづみ、笛を大人が受け持ちます。
お囃子は一定のリズムの繰り返し、巫女舞は一定の所作の繰り返しです。
演目は「榊の舞」「弓の舞」「太刀の舞」。
 
 
*舟引き*14:00~
長さ2.7m、幅34cmの太い舟型の木の台に新たに編んだ俵を3俵積み重ねて幣束(へいそく)を1本立て、台の両端には長くて太い綱を2本ずつ縛りつけ東西の向きに置きます(もと俵には白米をいれたらしい)。一同が綱につかまると大太鼓を合図に引き始めます。近年引き手には地域の人々も加わっており3回引き合い、東が勝てば豊作で米の値段が上がり、西が勝てば凶作で米の値段が下がるといわれています。

*そばの振る舞い*
当日磐梯町そば打ち愛好会によるそばの振る舞い(無料)があります
磐梯町そば打ち愛好会は毎年11月の金砂郷そば打ちフェスティバルにも参加しています。祭りで知り合ったおじさんとフェスティバルでも顔をあわせることが出来ました。

また記念に紅白の饅頭をいただきました。

*撮影見学の方は雪への備えが必要です*
この日大雪のため帰り磐越道は通行止め、一般道は大渋滞で難儀しました。

「舟引き祭りと巫女舞」05写真帖をご覧ください。

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03月:鶴ケ城をバックに「会津彼岸獅子」(福島県会津若松氏)

祭り名:会津彼岸獅子

場   所 :福島県会津若松市 鶴ケ城およぶ市内各所
開催日 :毎年3月17日(彼岸入り)~23日(彼岸明け)
取材日 :平成16年03月21日

☆祭の見所☆
 白亜の会津鶴ケ城の本丸をバックに勇壮に舞う獅子舞。

☆祭の様子☆ 

 春の彼岸とはいえ城壁の影に雪の残る会津の春、伝統行事「会津彼岸獅子」が春を告げます。
会津彼岸獅子は1000年前、源義家が軍の士気を鼓舞するためにはじめたことが起源といわれています。
三体の獅子が笛と太鼓の音色に合わせ、豊作と家内安全を祈り、古式ゆかしい舞をみせながら市内を練り歩きます。

詳細日程は会津若松観光物産協会のホームページをご覧ください。

写真データ「会津彼岸獅子04写真帖」をご覧ください。

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2007年3月20日 (火)

03月:72年に一度「金砂大祭礼」(茨城県常陸太田市)

祭り名:金砂大祭礼 神社名;東金砂神社、西金砂神社

場   所 :茨城県常陸太田市~日立市
取材日 :平成15年03月22日~31日(次回開催は2075年です。)


☆祭の見所☆
 平安時代(851年)から72年に一度行われた磯出行列と田楽からなる祭りです。
天下泰平と五穀豊穣を願って
東金砂神社、西金砂神社を出発、日立市水木浜を折り返して7日間の日程でそれぞれの神社に戻りました。
東西の行列の出発日が3日間ずれているので、延べ10日間の日程です。

☆大田楽☆
 田楽舞は四段からなり、建国の神話を表現するするとともに、悪霊を追い払う所作、田に霊力を与える所作、五穀豊穣を祈る所作、農作物が良く出来るよう田の霊気を呼び覚ます所作などを表現しているといわれています。

「金砂大祭礼写真帖3月22日:山越え」へはここをクリックしてください。

「金砂大祭礼写真帖3月23日:中染め~芦間」へはここをクリックしてください。

「金砂大祭礼写真帖3月24日:馬場八幡宮大田楽」へはここをクリックしてください。

「金砂大祭礼写真帖3月24日:鯨が丘行列」へはここをクリックしてください。

(写真は順次UPしていきます。)

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2007年3月16日 (金)

03月:安珍念仏踊り(福島県白河市)

祭り名:安珍念仏踊り
(白河市無形文化財)

場所 :福島県白河市萱根字根田 安珍堂
開催日 :毎年3月27日の安珍忌
取材日 :平成16年03月27日10:00~13:30

☆祭の様子☆
 
醍醐帝の時代延長六年(928)に紀伊国眞名子庄司の娘 清姫は安珍を恋慕したが、安珍は僧の身として道成寺の鐘に隠れた。
清姫はそれを追い一身蛇身となって日高川を渡り、この鐘に巻き付き、火焔を吐き安珍を焼死させた。
このことは古くは今昔物語、近くは長唄道成寺等の芸能で名高い。
この安珍は白川郡根田村の僧である。
(「安珍の墓」の説明書きより)

10:00~10:30 公会堂で念仏
11:00~12:30 来賓挨拶、食事
12:30~12:45 念仏踊り・・・・下総(しもさ)、そそり

安珍念仏踊り04写真帖をご覧下さい。

03月:つつこ引き祭(福島県伊達市保原町)

祭り名:つつこ引き祭  神社名;厳島神宮

場所 :福島県伊達市保原町 厳島神社
開催日 :毎年3月第1日曜日
取材日 :平成18年03月05日13:00~15:00

☆祭の様子☆
3月とはいえ影に雪が残るほどの寒風の中、ワラで作った巨大な「つつこ」を下帯姿の男たちが引き合う奇祭です。
享保の大飢饉に苦しむ農民を救った、領主・松平出雲守道春公を称え、その年の豊作を占う祭りとして知られ、約280年の伝統を誇ります。
「つつこ」(長さ3m,直径1.5m,重さ約800kg)は、約800束のわらを使い祭礼前日に氏子たちが造りあげ、中には 2升のおこわを入れられています。
これが引き合ううちに、もちに変わり、祭り終了時宮司の手によって参拝者に配られます。
また解体された「つつこ」のわらを持ち帰り神前に捧げると病人が絶え、農作物は豊作となり、養蚕は盛んになると言い伝えられています。

つつこ引きの前哨戦として、子供たちによる綱引き合戦があります。
スポーツ少年団や学校など各グループが参加し熱戦が繰り広げられます。

つつこ引き祭写真帖をご覧ください。

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2007年3月14日 (水)

03月:祭頭祭(茨城県鹿嶋市)

祭り名:祭頭祭  神社名;鹿島神宮
(国選択無形民俗文化財)

場   所 :茨城県鹿嶋市宮中
開催日 :毎年3月9日
取材日 :平成17年03月09日午前10時~17時

  

☆祭の様子☆
 鹿島地方に春の訪れを告げる祭りとされ、五穀豊穣、天下泰平を祈願するお祭りです。
鹿島神宮近くの本陣での出陣式を終えた後、仲町通り→角内通り→大町通りと練り歩き、夕方には鹿島神宮拝殿前にて一斉に囃したてます。

十数人が一組となり円陣を作り、樫棒を組み鳴らします。
円陣の中心では太鼓のリード役がいて、「イヤーホエ鹿島の豊竹トホヨトヤ」の掛け声をかけます。
組は青年男子や女子、小学生などその体力に合わせて構成されています。
赤ちゃんを背負ったお母さんたちも参加しているのは驚きです。

☆撮影ポイント☆
五色のたすき、極彩色の衣装、奇抜な化粧、ヘアカラー、面白い持ち物など多彩な撮影を楽しめます。

03月:祭頭祭05写真帖へはここをクリックしてください

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03月人形浄瑠璃真壁白井座公演(茨城県桜川市真壁町)

開催日:平成16年3月14日(日)」12:30~

会場:真壁町総合福祉センター・入場無料

番組:

一、御祝儀 寿式三番叟

一、仮名手本忠臣蔵 裏門の段

一、菅原伝授手習い鑑 車挽きの段

一、人形浄瑠璃 傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段

人形浄瑠璃真壁白井座公演写真帖はここをクリックしてください。

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2007年3月12日 (月)

02月:安波祭り(福島県浪江町)

祭り名;安波祭    神社名;くさの神社
(浪江町無形民俗文化財)

場   所 :福島県浪江町請戸
取材日 :平成18年02月20日(土)午前8:00~

☆祭の様子☆
 
請戸地区に伝わる「安波祭」は、約300年前にくさの小島で潮水を献じ、水の濁り具合や泡立ちなどからその年の漁獲を占ったのが始まりとされています。
毎年2月の第3日曜日に行われています。

(1)くさの神社境内で保存会による神楽や小学生が豊作を祈る田植踊りを奉納します。
(2)御輿の行列が地区内を練り歩いたあと、浜辺に設けられた「お仮屋」に御輿が到着す   ると、改めて神楽や田植踊りが奉納されます。
(3)下帯姿の若衆に担がれた紅白の「樽御輿」が、荒海に向かい、波しぶきをあげながら、海上渡御します。

安波祭写真帖へ

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2007年2月28日 (水)

02月:常陸太田芸能祭(茨城県常陸太田市)

開催日:平成19年2月25日(日)13:00~
会 場:常陸太田市市民交流センター

生涯学習フェスティバルの一環として、また新生常陸太田市文化団体連合会の誕生を祝って芸能祭りが行われました。
市内各地で活動する多くの団体が参加、芸能や音楽を披露し、満席の観客を魅了していました。

プログラムより
1.歌謡曲 常陸太田市歌手連絡協議会
2.舞踊  優柳会
3.太鼓  常陸太田県北地ばやし保存会
4.詩吟  常陸太田藤流吟道会
5.民謡  常陸太田民謡楽鳳会
6.舞踊  五月会
7.民謡民舞全国大会優勝者民謡披露
8.太鼓 天神ばやし保存会

天神ばやしは佐竹藩時代(1187年頃から1603年まで)、城下で農兵を集める時や出陣するときに打ちならされた太鼓が、その後、土地の農民の娯楽となり、代々継承されてきたものです。
小太鼓は2分の1拍子で素朴なリズムを刻み、大太鼓は全身の力を振り絞り、長短強弱を織り交ぜた撥さばきで、佐竹藩初期の農民たちの無骨な気性をよく表した音曲です。
(2007年2月26日茨城新聞より)
**天神ばやし写真帖へはここをクリックしてください。

9.太鼓 天神ばやし保存会 こども天神ばやし
10.ソーラン節 さとみソーラン会
**さとみソーラン会写真帖へはここをクリックしてください。

11.コーラス Seeds(シーズ)
12.バンド演奏 ブリーズ・サウンド
フィナーレ 太田音頭

**常陸太田芸能際写真帖へはここをクリックしてください。

2007年2月21日 (水)

02月:岩間烏よばり(茨城県笠間市)

祭り名;岩間烏(からす)よばり

日時:平成19年2月11日(日)午前6時~午前7時
場所:笠間市泉の水田(旧岩間町泉)

☆祭の様子☆
烏(からす)よばりは関東地方で古くから行われていた稲作の予祝行事の一つです。
田んぼにサイコロ状の餅をまき、「カラス、カラス」と烏を呼びます。
早稲、中稲(なかて)、晩稲(おくて)の籾のうち烏が食べた籾が今年の豊作だと占います。

1.清めの儀
2.奉遷(ほうせん)の儀
3.祈請文奏上
4.草刈り初めの儀
5.鍬入れ初めの儀
6.穿ち初めの儀
7.烏勧請の儀
8.予兆占いの儀

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2007年2月 8日 (木)

02:月「嵐除祭」(茨城県常陸太田市)

祭り名;嵐除祭
神社名;東金砂神社

日時:平成19年2月11日(日)午前11時~12時30分
場所:東金砂神社境内田楽堂(常陸太田市天下野(けがの)町)

☆祭の様子☆
「嵐除祭」では厄除け・豊作豊漁の祈願をします。また年占いも行われます。
「田楽舞」は国指定選択民俗芸能、茨城県指定無形民俗文化財です。

田楽舞の演目は
「四方固め」・・・・猿田彦が四方を固め、天下泰平を祈る舞
「獅子舞」・・・・・・稲の豊作を祈る所作
「巫女舞」・・・・・・神様を慰める舞
「三鬼舞」・・・・・・赤鬼、黒鬼、青鬼が荒々しく舞う。

金砂大祭礼(72年に一度開催)では見るのが大変だった「田楽舞」が毎年見られます。

詳細データは「02月:嵐除祭06写真帖」をご覧ください。

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2007年2月 7日 (水)

02月:大杉神社節分祭(茨城県稲敷市)

祭り名;大杉神社節分祭 
神社名;あんばさま総本宮 大杉神社

場   所 :茨城県稲敷市阿波958番地(旧桜川村)
開催日 :平成19年02月03日(土)午後15時、17時、19時、20時

☆祭の様子☆ 
 節分祭は厄除け・八方除け・星除けの永い伝統を持つ大杉神社の年中行事の中でも最も重要な厄難除けの大祈祷の日に当たります。(大杉神社パンフレットより)

この節分祭は神事として、特設舞台で厄除けのための儀式が行われ、また神楽殿では十二座神楽のうち七座が行われました。

2007年2月 6日 (火)

02月:車坂稲荷神社節分祭(茨城県笠間市)

祭り名;車坂稲荷神社節分祭 
寺院名;車坂稲荷神社

場   所 :茨城県笠間市笠間(笠間陶芸の丘入口)
開催日 :平成19年02月03日(土)午後1時30分~午後2時30分

午後1時30分~神事
午後2時00分~豆まき

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02月:修多羅寺節分祭(茨城県城里町)

祭り名;修多羅寺節分祭 
寺院名;修多羅寺

場   所 :茨城県城里町小勝(おがち)(旧七会村)
開催日 :平成19年02月03日(土)午前10時30分~午後12時30分

☆祭の様子☆
 修多羅寺で節分祭が行われ、磯野住職ら三人の僧侶が冷水をかぶり水行を行いました。
磯野住職によると「酷寒の中で水をかぶるのは、人々の願いをかなえ、苦しみを無くすには、自らの身を清めなければならない」という意味が込められています。

10時30分~水行
11時00分~ご祈祷
12時00分~豆まき

参加者は破魔弓などを授けられ、今年一年の家内安全や無病息災を祈願しました。
(一年の計は節分にあり。)

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2007年2月 2日 (金)

02月:「真壁のひなまつり」を見に行こう

「真壁のひなまつり」が行われます。

会期:平成19年2月4日(日)~3月3日(土)
場所:桜川市真壁町の市街地 
ひな人形は、商店や民家など約150軒に飾られます。
マナーを守って見せていただきましょう。

2月17日:「駅からハイキング」
2月18日:「着物でひなまつり」
3月02日:「流しびな」

(画像 平成16年2月25日撮影)
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2007年1月30日 (火)

01月:「常陸大津の御船祭」新祭事船海上徒御祭(茨城県北茨木市)

祭り名::「常陸大津の御船祭」新祭事船海上徒御祭  
神社名;佐波波地祇(さわわちぎ)神社

場   所 :茨城県北茨城市大津町大津漁港
開催日 :平成19年01月27日(土)午前8時30分~午後2時30分

☆祭の様子☆
 「常陸大津の御船祭」に使用される祭事船が老朽化し、新たな木造船も手に入らないことから、木造の船を新造しこのほど海上徒御祭が行われました。
 
江戸時代から伝わるこの祭りで祭事船が新造されるのははじめて。
また木造船を作る技術を持った船大工も高齢化し、技術の伝承もむつかしいことから今回の新造船が最後になると思われます。

船は長さ15m幅3m重さ8トンで、平成18年10月9日に起工式が行われ、地元の船大工3人の手によって作られました。

 海上徒御祭では進水式の後、造船所を出港、海上を徒御、市漁業歴史資料館におさめられました。

1.神事、子供たちによるお囃子
2.大漁旗で飾りつけた後クレーンに吊るされ台車に
3.台車ごと進水
4.2隻の漁船に曳航され漁港内を海上徒御
5.市漁業歴史資料館近くの岸壁からクレーンに吊るされ陸地へ
6.子供たちによるお囃子、ホイールローダに引かれ道路を徒御
7.市漁業歴史資料館近くの道路からクレーンに吊るされ台車へ
8.納めの神事、子供たちによるお囃子。
9.市漁業歴史資料館に納められました。

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2007年1月23日 (火)

01月:鳥追い(茨城県常陸太田市)

日時:2007-1-20(土)午後5:00~6:30
場所:常陸太田市茅根町のたんぼ

15年前に復活した小正月の伝統行事「鳥追い」が行われました。
茅根町の子供会、佐都小学校3年生の児童が参加。
鳥追い小屋の中では、子どもたちが餅やこんにゃく(田楽)を焼いて食べます。
またお母さんたちが作った具だくさんの豚汁もいただく。
最後に鳥追い小屋は燃やされ、子どもたちは「ワーホイ」「ワーホイ」と叫びながら無病息災を祈りました。

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2007年1月13日 (土)

01月:鹿島神宮・大寒みそぎ(茨城県鹿嶋市)

祭り名:鹿島神宮・大寒禊(みそぎ)  神社名;鹿島神宮
場   所 :茨城県鹿嶋市宮中
開催日 :平成19年01月20日(土)午前10時~11時
取材日 :平成19年01月20日(土)午前07時~11時

  

☆祭の様子☆
 鹿島神宮境内にある御手洗池(みたらしいけ)で神職と一般約130人が参加し荒行に挑みました。
男性はふんどし姿、女性は白装束になり、「エイ、エイ」のかけ声とともに舟を引く仕草をする「鳥船」と呼ばれる体操をしてから、御手洗池に入ります。
約15分間、肩まで水に漬かって祝詞(のりと)を唱え心身を清めます。
池からあがって再び「鳥船」体操をすると、体に付いた水分が気化して体が震えます。
見てる方が寒くなりそう。
暖かいお風呂が用意されているふうではなく、池の傍らで着替えて帰っていきます。
風邪ひかないかと心配です。

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☆撮影ポイント☆ 
御手洗池(みたらしいけ)で一般撮影用に開放されるエリアはごく狭く朝7時頃には場所取りをしなければなりません。

2007年1月10日 (水)

01月:寒川の花桶かつぎ(栃木県小山市)

祭り名:寒川の花桶かつぎ   神社名;胸形神社
小山市指定無形文化財

場   所 :栃木県小山市寒川
開催日 :平成19年01月27日(土)午後5時頃~
  

☆祭の見所☆
 きれいな晴れ着で着飾った女の子が花桶をかつぎ、寒い夜を練り歩くのはかわいそう。

☆祭の様子☆ 
花桶かつぎ」は胸形(むなかた)神社の祭礼で、寒川地区に古くから伝わっている伝統行事です。
祭りでは七五三のお祝いをする7歳の女の子数名が美しく着飾り、母親が付き添います。
女の子たちは梅花の造花で飾られた花桶をかつぎ、神輿や山車が先導し、龍樹寺から胸形神社まで地区内を練り歩きます。
 この祭りには五穀豊穣、家内安全、子供たちの健やかな成長と学業成就の願いが込められています。

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2007年1月 9日 (火)

01月:どんど焼き(茨城県桜川市)

日時:平成19年1月14日(日)午後6時頃より
場所:真壁他県西の各所で

 小正月には農耕に対する予祝(よしゅく)の儀礼行事が多く、その年の五穀豊穣を祈ります。
どんど焼きは十四日の晩、子どもたちが中心になって行う行事です。
山から、松や杉の木を切りご神木にし、野からススキなどを刈り集め、家々からもらったわらと併せて円錐形のドンドヤを作ります。
夕食後、門松やしめ縄、古いお札、だるまなどをドンドヤと一緒に積み上げ、火をつけます。
子どもたちは長い竹の先にお餅を突き刺し、ドンドヤの火であぶります。
どんど焼きの火で焼いた餅を食べると風邪を引かないと言われています。

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2007年1月 8日 (月)

01月:はねつき神事・破魔弓神事(茨城県水戸市)

日時:平成19年1月8日(成人の日)午前11時30分より
場所:水戸八幡宮(水戸市八幡町8ー54)

羽子板を奉納し、羽根突きで今年の稲作の豊凶を占います。
また弓の礼射で邪気を払う破魔弓神事が行われます。

今年の年占いの結果は
「早稲(わせ)は良くない、中稲(なかて)、晩稲(おくて)は良い、
全体として豊作です。」と出ました。

神事進行
1.祝詞奏上
2.神官による破魔弓放射
3.女性神職と巫女によるはねつき年占い
4.水戸市弓道連盟による破魔弓の礼射
5.一般参加者によるはねつき大会

正月の行事は年中行事の中で最も重要な行事です。
正月は新たなる年の始まりとして年神(としがみ)を迎え、1年の無病息災と、その年の稲作や畑作の豊穣を祈る神事が多くみられます。

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2007年1月 5日 (金)

01月:鍬の祭(鍬打祭)(茨城県桜川市)

祭り名:鍬の祭(鍬打祭) 
神社名:大国玉神社(おおくにたまじんじゃ)

場   所 :茨城県桜川市大国玉(旧大和村)
開催日 :平成19年01月03日(水)12:00~
       (毎年1月3日に開催)
取材日 :平成17年01月03日(日)11:00~Img_1895a

 年頭に氏子崇敬者の家内安全と五穀豊穣を祈願する予祝行事で田遊びの神事ともいわれています。
祭りに先立って社殿の前庭に田所をつくります。
それは竹を四方にたて注連縄を張り巡らし、地面に榊の小枝を敷きつめ、三畳ほどの祭場をつくります。
この周囲に氏子総代が鍬(榊の二又になった枝)を持って並びます。
宮司は鍬(榊の枝)を持って田所に入り、田を耕す所作をします。「春鍬打ち」
この後、古式に従って次のような農作業の所作をしながら唱え言します。
「畦づくり」「水切り流し」「牛口伝」「しばふみ」「田ならし」「種まき」「早苗とり」「御田植え」「お中食」
これらは豊作を祈願する意味が込められています。

平成21年1月4日 茨城新聞より
 五穀豊穣と氏子らの家内安全を祈願する「鍬の祭」が3日、桜川市大国玉の大国玉神社で行われた。
農作業のしぐさを演じながら、その年の豊作を祈願する伝統行事で、鎌倉時代の作とされる翁の面や牛の面が代々用いられ、600年以上の歴史を持つという。
 サカキの枝が敷き詰められた約2.7メートル四方の斎場で、太田良正宮司(78)が神事を行った。氏子総代が回りを取り囲む中、祈願の言葉を唱えながら、あぜをつくり、田ならし、種まき、田植えなど一連の作業を演じ、豊作を祈った。丈夫な稲が育つという種もみも配られ、参拝者を喜ばせた。
 太田宮司は「農業の衰退で、実りへの関心も薄れているが、600年以上も続くお祭りを絶やすことなく続けていきたい」と話した。4日には豊作を願って大太鼓を打ち鳴らしながら、氏子の集落約キロを巡る「さやどまわり祭」も行われる。

2007年1月 4日 (木)

01月:西丸山祈祷囃子(茨城県つくばみらい市)

祭り名:西丸山祈祷ばやし 神社名:鹿島神社

場   所 :茨城県つくばみらい市(旧谷和原村)西丸山
開催日 :平成19年01月14日(日)8:30~
       (毎年1月15日以前の日曜日に開催)
取材日 :平成16年01月11日(日)8:30~

 谷和原村西丸山に伝わる大杉囃子の一種で,悪病除けと五穀豊穣を祈願します。
 元和年間の三百有余年前,度重なる水害により村々には疫病が流行し, 村人達が悪病の退散を願い「祈祷囃子」を行なったのが始まりと言われています。
  お囃子の一行は,大八車の前側に米俵3俵と天狗の面を飾り、後ろ側に大小の太鼓を乗せ,笛,鼓,鉦,拍子木があとに続きます。
 まず,地区の鎮守の鹿島神社に「みこ舞囃子」を奉納し,続いて「ばか囃子」を囃しながら地区内の三十数軒の家々をまわり祈祷します。
 その際,疫病除けの神様として信仰されている阿波の大杉神社(稲敷郡桜川村)のお札を配ってまわります。
 また,藁で作った男と女の人形を地区の北と南の入口に飾ります。これは地区内への疫病の侵入を防ぐ意味があります。

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2007年1月 2日 (火)

01月:高浜海岸元旦御輿渡御04(茨城県高萩市)

日時:1月1日午前6時20分~
場所:津明神社~高浜海岸周辺(高萩市高浜町)
海岸近くの津明神社から神輿を繰り出し、初日の出とともに海中を渡御。

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2006年12月13日 (水)

12月:加波山三枝祇神社の火渉祭02(茨城県桜川市)

祭り名:加波山三枝祇神社の火渉祭 神社名;加波山三枝祇神社
場   所 :茨城県桜川市(旧真壁町真壁)
開催日 :平成18年12月22日(金)P1010022a
    

☆祭の見所☆
 加波山には「加波山神社」と「加波山三枝祇(かばさんさえなずみ)神社」の二つの神社がありますが、「加波山三枝祇神社」の祭りで冬至の日に行われます。
善男善女が、厄除け無病息災を祈願し素足で火渡りをします。

2006年12月11日 (月)

12月:岩瀬の大飯まつり06(茨城県桜川市)

祭り名:岩瀬の大飯まつり    神社名:鹿島神社

場   所 :茨城県桜川市下泉地区と本郷地区(旧岩瀬町)
開催日 :平成18年12月10日(日)11:30~14:00

☆下泉地区☆ Img_4161a
 例年午前11:00からお祭りが始まるのですが、今回は11:30からの始まりになりました。
下泉地区の60軒が6ヶ所の坪に分かれていて、毎年持ち回りで当屋に当たります。
この地区では神田があり、共同で田植えから収穫まで行い、そのお米30Kgをお祭りに当てます。
当屋では朝5時から坪の人々がご飯の炊き出しやおかず作りを行います。
当屋には市長、助役、また北関東道工事関係者や地区の戸主30数名が招かれました。
お祭りでは鹿島神社の宮司さんによる神事の後、大盛のご飯モッソーをいただきます。
途中当屋の主人がカシマ様になりご飯をさらに食べるよう強要します。


☆本郷地区☆ Img_4256a_1
 下泉地区のお祭りが終わると、来賓が本郷地区に移動して始まります。
下泉地区との違いについて記入します。
*お米は当番の坪の各個からの持ち寄り
*モッソウにざぶとんがない
*サンマは焼きサンマ
*余興にイマハマが登場する。

2006年12月 8日 (金)

12月:岩瀬の大飯まつり(茨城県桜川市)

祭り名:岩瀬の大飯まつり    神社名:鹿島神社

場   所 :茨城県桜川市下泉地区と本郷地区(旧岩瀬町)
開催日 :平成18年12月10日(日)

☆祭の見どころ☆ Img_1497a
 これが食えるか!てんこ盛り。

☆祭の様子☆
 桜川市の下泉と本郷地区の鹿島神社の氏子の家で行われる祭りです。
当屋に地区の戸主があつまり、膳を囲み大飯をいただきます。
膳には八合の飯を型に入れて柱状に固めたモッソウが盛られています。
おかずは煮物、サンマ、なます。

☆余禄☆ 
04年の取材時に、このモッソウを一個お土産にもらいました。
輪切りで、焼きおにぎりにして食べましたが、お米は茨城のコシヒカリでおいしくいただきました。

2006年12月 2日 (土)

12月:木幡の幡祭り(福島県二本松市)

祭り名:木幡(こはた)の幡まつり

場   所 :福島県二本松市(旧東和町)

開催日 :平成18年12月03日(日)

☆祭の様子☆ Img_4164a
 950年の歴史と伝統を誇る「木幡の幡祭り」は「日本三大旗祭り」のひとつに数えれています。
 この祭りは前九年の役の故事に由来しています。
この戦いで源氏が戦いに敗れ、わずか数騎で木幡山に立て籠もりましたが、山は一夜にして全山雪で白くなりました。
この様子を、追ってきた安部の軍勢が源氏の白旗に見間違い、戦わずして敗走しました。

2006年11月29日 (水)

11月:柴燈大護摩供法要・火渡り式(栃木県下野市)

祭り名:柴燈大護摩供法要(さいとうおおごまくほうよう)・火渡り式
お寺名:開雲寺

場   所 :栃木県下野市石橋284-1
   (JR宇都宮線石橋駅近く)
開催日 :平成18年11月18日(土)11:00~12:30

☆祭の様子☆ Img_2691a
 柴燈護摩は密教の大家である高僧が行者の修行を妨げる大蛇を退治するのに用いた秘法です。
修行僧が山伏姿で参加し、境内中央の炉壇に点火し、国家安寧を祈願します。
続いて火渡り式では参列者が家内安全、商売繁盛などを祈願し、火の上を渡ります。

☆祭の特徴☆
 法要に先立って、JR石橋駅から山伏の行列を行う際、近代的な駅舎のモニュメントと伝統的な山伏のミスマッチがおもしろく感じました。
また、炉壇に点火後大うちわであおる様は、他の火渡りでは見られない様子です。

(追記)
写真帖に火渡りの様子は後ほどUPします、現在編集中です。

2006年11月12日 (日)

11月:松明あかし(福島県須賀川市)

祭り名:松明あかし

場   所 :福島県須賀川市翠ヶ丘公園内五老山
開催日 :平成18年11月11日(土)18:30~大松明点火

☆祭の起源☆ Img_0968a
 今から400年以上前の天正17年(1589)、伊達政宗が須賀川城二階堂氏を攻めた際、二階堂家の家臣や領民は伊達政宗に対抗せんとして、手に手に松明をともし、五老山に集まりました。
しかし須賀川城は攻められて火炎に包まれ、家臣の大部分は悲壮な最期を遂げました。
「松明あかし」はこの戦いで戦死した多くの人々の霊を弔うために行われるようになった行事です。

2006年11月 3日 (金)

11月:笠間稲荷神社「神事流鏑馬」(茨城県笠間市)

祭り名:神事流鏑馬  神社名;笠間稲荷神社
場   所 :茨城県笠間市笠間一番地
開催日 :平成18年11月03日(金)Img_1578a_1
    

☆祭の見所☆
 勇壮に的を射抜くその技に大勢の見物客から拍手歓声が上がっていました。
☆祭の様子☆
 
鶴岡八幡宮・日光東照宮とならぶ関東三大流鏑馬として知られています。
小笠原流の射手や氏子有志など総勢40名は拝殿前で祈願したのち、特設馬場まで古式にのっとり行列します。
会場では射手が260mの馬場を一気に駆け抜けながら、3本の鏑矢を射て的を射抜きます。
馬場中央にいる奉行所の日記役が、その命中度を記録し、割れ方によって来年の豊凶を占います。

11月:東金砂神社「御鎮座1200年記念祭」(茨城県常陸太田市)

祭り名:御鎮座1200年祭 神社名;東金砂神社

場   所 :茨城県常陸太田市天下野(けがの)町 北小学校特設舞台
開催日 :平成18年11月03日(月)10:00~14:00
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☆祭の見所☆
 全国的にもめづらしい伝統芸能である「田楽」を見ることができます。

☆行事☆
 
午前10時から神事が行われた後、次のような行事が行われました。

2006年11月 2日 (木)

10月:西塩子の回り舞台・人形浄瑠璃「壺坂霊験記」

西塩子の回り舞台・人形浄瑠璃「壺坂霊験記」
(2006-10-29)
出演:真壁白井座

幼い頃の病気が元で盲目になった沢一の目を治そうと、女房のお里は毎朝、壺坂の観世音に参拝していました。
事情を知らない沢市は妻の不倫を疑います。
その後妻の貞節を知り、苦労をかける自分を責めて壺坂の断崖から身をなげます。
それを見つけたお里も、後を追って谷底に飛び込みます。
やがて谷底に観世音菩薩が現れて、二人の信仰心をほめ、霊験によって二人は生き返り、沢市の目も見えるようになりました。

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10月:西塩子の回り舞台・創作舞踏「里山叙情詩」

10月:西塩子の回り舞台・創作舞踏「里山叙情詩」写真帳帖
(2006-10-29)
(楽の会・下桧沢不動太鼓)

この作品は一幕三場の構成で、村祭りを通して、神様や動植物、人との結びつきを深めてゆく人々の様子を描いています。
(一場)村仕事をしている農夫と村の女性たちとの語らいのひととき。
(二場)村の盛衰を見つめてきた老人たち、今年も無事に祭りが行われるように祈ります。
(三場)いよいよ祭りの日。人々は心を合わせて、太鼓や踊りで、五穀豊穣を感謝します。

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10月:西塩子の回り舞台・人形浄瑠璃「二人三番叟」

西塩子の回り舞台・人形浄瑠璃「二人三番叟」(2006-10-29)
(真壁白井座)

天下太平、五穀豊穣を祈願するご祝儀の舞い。
能の「翁」と狂言方が舞う「三番叟」を義太夫節にしたもの。
二人の三番叟はまず四方と中央を清め、太夫の語りに乗ってにぎやかに舞います。
やがて鈴を持って四方に種を蒔く頃から舞いに疲れて休む三番叟、それを無理矢理立たせる三番叟、ともにユーモラスに舞います。
最後は揃ってめでたく舞い納めます。

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10月:西塩子の回り舞台・菅原伝授手習い鑑

西塩子の回り舞台・歌舞伎「菅原伝授手習鑑 寺子屋の場」(2006-10-28)
(出演:西若座)

菅原道真の元家臣武部源蔵は、夫婦で流刑となった主の子秀才をかくまっていますが、これが露見し秀才の首を差し出せと命令されます。
思案に暮れた二人は自らが開く寺子屋に入門してきた小太郎を殺め、秀才の首と偽って検分に来た松王丸に渡します。
しかし、実は小太郎は道真の恩を受けた松王丸の子で、身代わりを覚悟で寺入りさせていたのです。
源蔵夫婦や松王丸夫婦が子を悼む場面が涙を誘います。
地芝居の十八番(おはこ)です。

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2006年11月 1日 (水)

10月:西塩子の回り舞台・白浪五人男

西塩子の回り舞台・歌舞伎「白浪五人男 稲瀬川勢揃いの場」(2006-10-28)
(塩田小学校児童)

”白浪”とは盗賊のことで、五人の盗賊団の物語です。
日本駄右衛門を首領とし、弁天小僧菊之助、南郷力丸、忠信利平、赤星十三郎が登場します。
五人は呉服商浜松屋に盗みに入ろうとします。
ひょんな事から浜松屋の主人幸兵衛が菊之助の実父であることが判明します。
さらに、浜松屋の養子の宗之助が駄右衛門の実子ということが判明します。
そのため、一同は何も盗らずに桜満開の稲瀬川堤に落ちのびます。
捕り手を前に五人それぞれが、自分の来歴を七五調の名せりふで語る場面が見どころです。

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10月:西塩子の回り舞台・将門Ver.2

西塩子の回り舞台・舞踊 常磐津「将門」 Ver.2 (2006-10-28)
(伝統文化こども教室参加児童)

配役が変わりましての登場です。

雷鳴がとどろく場面があり、このため雨乞いの意味を持たせて地方の祭礼で多く上演されます。
平将門の娘滝夜叉姫が登場します。
将門の残党を詮議する君命を受けた大宅光圀も登場します。
滝夜叉姫は、相馬の古御所に忍び込んだ大宅光圀を色仕掛けで味方に引き入れようとします。
しかし、本性を見抜かれて大立ち回りになり、滝夜叉姫は逃げ去ります。
常磐津の名曲です。

役どころ:滝夜叉姫、大宅太郎光圀、捕手、浄瑠璃、三味線、ツケうち、鳴り物、後見

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2006年10月29日 (日)

10月:西塩子の回り舞台・将門

「西塩子の回り舞台」・舞踊 常磐津「将門」 (2006-10-28)
(演技:常磐津教室参加児童)

雷鳴がとどろく場面があり、このため雨乞いの意味を持たせて地方の祭礼で多く上演されます。
平将門の娘滝夜叉姫が登場します。
将門の残党を詮議する君命を受けた大宅光圀も登場します。
滝夜叉姫は、相馬の古御所に忍び込んだ大宅光圀を色仕掛けで味方に引き入れようとします。
しかし、本性を見抜かれて大立ち回りになり、滝夜叉姫は逃げ去ります。
常磐津の名曲です。

役どころ:滝夜叉姫、大宅太郎光圀、捕手、浄瑠璃、三味線、ツケうち、鳴り物、後見

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10月:西塩子の回り舞台・子宝三番叟

西塩子の回り舞台・舞踊 常磐津「子宝三番叟」 (2006-10-28)
(塩田小学校3・4年生児童)

「三番叟」は、老人の姿をした神が天下泰平・五穀豊穣を祝して舞う姿を芸能化した、能の「翁」を歌舞伎に取り入れたものです。
この曲は、12人の子を持つ子福者が、四季の遊びのおもしろさを物語る内容で仕立てられた常磐津です。
祭りの幕開きに演じられます。

出演:太郎冠者、佐保姫(さおひめ)、三番叟、後見、三味線、浄瑠璃

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2006年10月28日 (土)

10月:「西塩子の回り舞台」第3回定期公演初日

「西塩子の回り舞台」第3回定期公演が開催されました。(初日2006-10-28)
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2006年10月27日 (金)

10月:「西塩子の回り舞台」リハーサル

公演間近となり、師匠を迎えてリハーサルが行われました。
(2006-10-26pm7:00~9:30)

軒先の提灯に灯りが入り、 祭間近の雰囲気が感じられます。

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2006年10月23日 (月)

10月:「西塩子の回り舞台」舞台練習

「西塩子の回り舞台」は日本最古の組立式農村歌舞伎舞台です。
地芝居と人形浄瑠璃をお楽しみください。2日間盛りだくさんの演目が用意されています。

公演プログラム

10月28日(土)
12:00 開演
12:20 常磐津「子宝三番叟」
13:00 子ども歌舞伎「白浪五人男」
13:50 常磐津「将門」
15:00 「舟弁慶」
16:30 歌舞伎「菅原伝授手習鑑・寺子屋の段」
18:30 終演

10月29日(日)
12:00 開演
12:10 人形浄瑠璃「二人三番叟」
12:40 屋台囃子
13:30 常磐津「将門」
14:40 創作舞踏「里山抒情詩」
15:40 人形浄瑠璃「壺坂観音霊験記」
16:40 終演

10月21日(土)組立完了した舞台上で練習が行われました。
歌舞伎「菅原伝授手習い鑑 寺子屋の段」1時間30分に及ぶ大舞台です。

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10月:「西塩子の回り舞台」着付け

「西塩子の回り舞台」は日本最古の組立式農村歌舞伎舞台です。
地芝居と人形浄瑠璃をお楽しみください。

10月15日着付けと化粧練習が行われました。
衣装を役者毎箱に詰め替えたり、着付けの先生に習ったり。
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10月:「西塩子の回り舞台」組立中

「西塩子の回り舞台」は日本最古の組立式農村歌舞伎舞台です。
地芝居と人形浄瑠璃をお楽しみください。

この舞台が9月24日から10月15日の間に組み立てられました。
丸太を組み、孟宗竹300本余を近くの山から切り出し、ドーム状の屋根を作ります。
荒縄でしばり、筵(むしろ)を掛けます。
地元の人々が一丸となって行う組み立て作業は圧巻、感心してしまいます。

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10月;「常陸大津の御船祭」新造中

「常陸大津の御船祭」(国選択無形文化財財)は、5年に一度北茨城市の大津漁港周辺で開催される奇祭です(祭事船が道路上を走る)。
この祭りに使われる祭事船が新造されています。
従来は中古の漁船を修繕し化粧直しをしていました。
2004年5月に使用した船も老朽化し、他に木造の船もないことから木造船を新たに作ることにしました。
また地元に数人しかいない船大工経験者が高齢化していることも新造することのきっかけです。
船は全長15m幅3m重さ8トン。建造費1500万円。

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2006年10月10日 (火)

10月:柿岡のじゃかもこじゃん(茨城県石岡市)

祭り名:柿岡のじゃかもこじゃん 太々神楽(十二面神楽)
神社名;八坂神社

場   所 :茨城県石岡市柿岡(旧八郷町)
開催日 :平成18年10月05日(金)宵宮午後7:00~11:00
      平成18年10月06日(金)本宮午後7:00~11:00
 (台風16号による風雨激しいなか催行されました。)

☆祭の見所☆ Img_7806a
 神楽面の形相が荒々しい。勇壮な神楽、かわいらしい神子舞が展開されます。
近所の子供たちは餅撒きの時間になると
集まってきます。

☆祭の様子☆
 
この神楽は、文禄四年(1595)長倉義興が柿岡城主に任じられたとき佐竹公とともに伊勢皇大神宮を参拝した折り、奉納舞24神楽の内の12神楽を持ち帰り、八幡神社に奉納したのがはじまりとつたえられています。
太々神楽(十二座神楽)の演目は
「神子国堅」・・・・・大人4人で神子舞い
「神子幣之舞」・・・神子4人(小学生女子)が幣をもって舞う。
「老翁」・・・・・・・・・翁が長刀で四方固めをする。
「天狐・種稼(たねかし)」・・きつね面をつけ、種蒔きの所作
「龍神の舞」・・・・・龍神が幣をもって舞う。
「神子榊之舞」・・・神子が榊をもって、四角に舞う。
「赤鬼・地法」・・・・赤鬼と地法が対決
「神酒之舞」・・・・・御神酒をもって、うやうやしく
「西宮大神・おかめ」・・・鯛を釣る所作
「神子扇之舞」・・・神子が扇をもって舞う
「岩戸」・・・・・・・・・天の岩戸を開ける所作
「天照皇大神・戸隠」・・・天照大神がお出ましになる。
「猿田彦」・・・・・・・猿田彦が長刀をもって舞う。
「山の神」・・・・・・・青鬼が登場

2006年10月 9日 (月)

10月:古殿八幡神社流鏑馬(福島県)

祭り名:古殿八幡神社流鏑馬 神社名;古殿八幡神社
(福島県無形民俗文化財)

場   所 :福島県古殿町
取材日 :平成17年10月09日

☆祭の見所☆
 三騎による三重連の流鏑馬が他では見られない。
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☆祭の様子☆
 鎌倉時代から800年の伝統をほこる古式ゆかしい流鏑馬です。

2006年10月 5日 (木)

10月;富山のささら(栃木県那珂川町)

祭り名:富山のささら  神社名;諏訪神社
(栃木県無形民俗文化財)

場   所 :栃木県那珂川町富山(旧馬頭町)
開催日 :平成18年10月01日(月)午前10:00~12:00

☆祭の見所☆ Img_2569a
 ひょっとこの面をかぶった道化役「スッコ」と「フクベ」を見たとき、その滑稽さに唖然としました。

☆祭の様子☆
 
諏訪神社の秋の例大祭で、五穀豊穣、家内安全、厄除けを祈願して奉納されます。
この獅子舞は、関東型の1人立3匹獅子舞に道化踊りが加わった風流系の芸能です。
演技はフクベ、スッコ、笛吹、花籠、3匹獅子(小中学生)で行われます。
演目は「渡り拍子」「入羽」「花籠まわり」「山陰」で、2匹の雄獅子が1匹の雌獅子を争奪する様子が表現されています。
スッコはササラを持ち、フクベは腰にひょうたん(ふくべ)を下げ、真っ赤な「サンショノボウ」を持ち、ユーモラスに踊ります。

取材日 :平成17年10月1日(日)

2006年9月29日 (金)

09月:下君田のささら(茨城県高萩市)

祭り名:下君田のささら  神社名;大塚神社
(高萩市指定無形民俗文化財)

場   所 :高萩市下君田1377 大塚神社
開催日 :平成18年9月23日(土)午前9:30~午後1:00
取材日 :平成18年9月23日(土)

☆祭の由来☆Img_7091a
 今から400年以上前の佐竹氏が当地を治めていた永禄年間から続く伝統芸能で、五穀豊穣を祈願する獅子舞いです。冷害などでお米が不作の年には開催されないことがあります。
雄獅子二匹、雌獅子一匹、前立ち二人からなる三匹獅子舞です。

☆獅子舞の構成☆
雄獅子二匹・・・小学生男子2人
雌獅子一匹・・・小学生男子1人
前立ち(軍配持ち、マラ棒持ち)・・・中学生、高校生男子(年により中学生2人になる)
お囃子・・・・・・・・横笛3大人男子、小太鼓3大人男子
山伏・・・・・・・・・・2人
旗持ち・・・・・・・・5人(行列の時)

☆日程☆
09:30~みどりの郷コミュニセンター広場で5分ほど獅子舞、記念撮影。 
その後大塚神社まで行列(約20分)
10:00~大塚神社下の道路交差点で獅子舞、記念撮影
10:30~大塚神社拝殿前境内で獅子舞
11:00~例祭清め
11:30~餅まき
12:45~大塚神社拝殿前境内で獅子舞5分



2006年9月28日 (木)

09月:河井のささら(栃木県茂木町)

祭り名:河井のささら  神社名;八幡宮
(茂木町指定民俗文化財)

場   所 :栃木県茂木町河井 八幡神社
開催日 :平成18年9月18日(月)午前10:00~午後3:00
(午前中激しい雨でしたが、拝殿前の境内にビニールでドーム状に屋根をつくり、実施されました。)
取材日 :平成18年9月18日(月)

☆祭の見所☆ Img_6643a
 まだ幼い少年少女が振り袖を着て、獅子舞を舞う様は華やかで微笑ましいものがあります。
この日は瓢(ふくべ)役の少年のかけ声が元気よく響き、ヤンヤの喝采でした。

☆祭の由来☆
 このささらの由来は、今から900年前の永保3年、後三年の役(1086~88)がおこり、源義家は征夷大将軍として、奥州征伐に向かわれました。
途中この河井に立ち寄られ、八幡山に源氏の守護神である八幡神を勧請しました。これが河井の八幡宮の起こりです。
 このとき都から共に下ってきた長寿姫を、戦場に赴かせるのは忍びないとして、姫の名を取り長寿寺を建立し、家臣の内田三郎義明をお着きの者として残し、さらに北へと出陣しました。
この時、別れの宴に、戦勝と五穀豊穣の祈願をこめて神楽を舞わせ、姫との別離の情を惜しみました。
 その後、長寿姫は義家の帰りを待ちわびていましたが、病を得てなくなりました。村人はこれを深く悲しみ、姫の亡骸を弔いました。
中秋の名月の日にもなれば、毎年姫の霊を慰め、あわせて五穀豊穣を祈り、ささらを舞うことを年中行事としてきました。

☆祭の様子☆
 河井の「ささら」は河井地区の鎮守八幡宮の祭典にあわせて行われます。
午前中は八幡宮の本殿前で奉納し、午後は長寿寺の前庭で披露されます。
10:00~    拝殿にて神事
10:30~11:30 拝殿前にてささら舞い
14:00~15:00 長寿寺の前庭でささら舞い披露

☆芸題☆
「打ち込みの舞」「神立の舞」「四つの舞(花の舞)」「引きの舞」

☆ささらの舞歌☆
○皇麗の御庭にひともとすすき ないはずないがそこに雌獅子をかくされ申された
○皇麗の御庭にひともとすすき そこに雌獅子をかくされ申された
○唐で九間の唐絵のびようぶ さらりと一重に立てまわす
○おいらが国から文がくるよ おいとま申していざかえろう
○雄獅子雌獅子の太鼓の紐を きりりとしめて ささらをちゃんと舞いおさめ

☆余録☆
「河井には嫁にやるな」
河井に娘を嫁にやる場合は豪華な支度(振り袖、晴れ着)を用意しなければならず、娘が3人もいれば、家が破産すると昔いわれたそうです。

2006年9月11日 (月)

09月:葛城流からくり綱火(茨城県つくばみらい市)

祭り名:葛城流(かつらぎりゅう)からくり綱火 
    :一言主神社花火祭・・大塚戸の綱火 
神社名;一言主(ひとことぬし)神社
(茨城県指定無形民俗文化財)

場   所 :茨城県常総市大塚戸町(旧水海道市)
開催日 :平成18年9月13日(水)午後6:30~9:00
        (雨模様ながら実施)」
取材日 :平成18年9月13日(水)

☆祭の見所☆ Img_6126a
からくり人形と仕掛け花火が大仕掛けでダイナミックな動きが楽しめます。日本では茨城県にしかないめずらしい祭りです。
☆祭の由来☆
万治2年(1659)大塚戸村向山坪に三峯神社が創建された時、集落の人々によって奉納されたのが始まりと言われています。
☆祭の内容☆
午後6:30~7:00:練り込み
午後7:00~7:30:御神楽
午後8:00~9:00:綱火(三番叟、大万灯と虫キング、鯉の滝登り)
☆大万灯(だいまんどう)と虫キング☆見物です。
美しい青、白、赤の花火が中央から傘の周辺へ燃え広がり、白色の大きな傘が夜空に輝きます。
やがて傘のてっぺんから虫キング(カブトムシ)が飛び出し、火花を吹きながら飛び回ります。
子供達への贈り物です。
☆鯉の滝登り☆見物です。
物語は中国の故事「登竜門」からの脚色です。
「一匹の鯉が黄河を登って行き激しく流れ落ちる滝を登っては落ちを繰り返すこと何度か。
ついには黄河の水脈(登竜門)に達したとき、鯉は我が身を竜に変えて滝を登り切ります。」この場面が綱火で再現されています。
鯉と竜がダイナミックに躍動します。
☆他の芸題☆
「安珍と清姫」「那須の与一」「須佐之男の命 八岐大蛇退治」など67種あります。
毎年、その中より一つ選び実施されます。
すべて見るにしても67年かかることになります。


取材履歴 :平成18年9月13日(水) 平成15年9月13日





2006年9月 7日 (木)

08月:小張松下流綱火(茨城県つくばみらい市)

祭り名:小張松下流綱火  神社名;小張愛宕神社
(国指定重要無形民俗文化財)

場   所 :茨城県つくばみらい市小張(旧伊奈町)
開催日 :平成18年8月24日(水)午後7:00~9:00
取材日 :平成18年8月24日(水)

☆祭の見所☆ Img_5655a
からくり人形と仕掛け花火がコラボレーション、夜空に鮮やかに浮き上がります。日本では茨城県にしかないめずらしい祭りです。
☆祭の由来☆
慶長8年(1603)から小張城主となった松下石見守重綱が考案し戦勝祝いなどに陣中で演じられたのが始まりといわれています。
☆祭の様子☆
別名「三本綱からくり花火」と称し、10メートルほどの大柱3本を立て、3本の大綱と数本の小綱を張り巡らし、やぐらの上から空中で人形芝居を演じます。
☆芸題☆
今回の芸題は「二六三番叟」「大利根の舟遊山」「桃太郎鬼ヶ城の戦い」。
この他に「那須の与一の扇の的」「加藤清正トラ退治」「鯉の滝のぼり」「間宮林蔵の樺太探検」などがあります。
☆撮影ポイント☆
正面側が狭いので午後4時頃には現地に着いて場所取りをするのが先決です。
暗い中しかも花火の煙に巻かれるので撮影はしづらい。
花火自体はけっこう明るいのですが、めまぐるしくアチコチで花火に点火されるので、焦点が定まらない感じです。横綱火は2~3秒なので集中して準備しないと撮れません。難しいです。

2006年9月 6日 (水)

08月:高岡流綱火(茨城県つくばみらい市)

祭り名:高岡流綱火  神社名;高岡愛宕神社
(国指定重要無形民俗文化財)

場   所 :茨城県つくばみらい市高岡(旧伊奈町)
開催日 :平成18年8月23日(水)午後7:00~9:00
取材日 :平成18年8月23日(水)

☆祭の見所☆ Img_5241a
からくり人形と仕掛け花火がコラボレーション、夜空に鮮やかに浮き上がります。日本では茨城県にしかないめずらしい祭りです。
☆祭の由来☆
昔、祭りの時、大樹から舞い降りた赤と黒の蜘蛛が巣を作るのを見て暗示を受けた村人が編み出したと伝えられています。今その技術は、高岡地区に住む長男だけで組織された「伊奈高岡流綱火更進団」によって、継承されています。
☆祭の様子☆
祭りは「くりこみ」ではじまります。手製の花火「たてはな」(*1)「くるくる」を愛宕神社に向かって吹きかけると、あたり一面火の海になります。
「綱火」は神社境内に張りめぐらされた多数の綱の上で操り人形が物語りを演じます。舞台から綱を操り、人形を前後左右に動かすその技に目を見張るものがあります。
((*1)「たちはな」を「たてはな」に訂正しました、09-08-10)

☆芸題☆
今回の芸題は「二六三番叟」「浦島竜宮入り海辺の花園」「壮絶空中戦」。
この他に「お噺花咲爺」「安珍清姫、悲恋の場」「小野の道風蛙の場」「高岡丸の船遊び」「富士山の大巻狩」などがあります。

取材履歴:平成18年8月23日 平成15年8月23日 平成14年8月23日

2006年9月 4日 (月)

08月:南須釜念仏踊り(福島県玉川村)

祭り名:南須釜念仏踊り  寺名;東福寺
(福島県重要無形文化財)

場   所 :福島県玉川村南須釜
開催日 :平成18年8月14日(月)
 ☆祭の見所☆ Img_3944a
あどけさの残る少女たちによって踊られ、見るものを引き付けて離さない不思議な魅力があります。
☆祭の由来☆
寛延元年(1748)ころ念仏供養がされていたとの供養塔があるがその起源は定かではありません。昭和27年に大野ケサさんが途絶えていた踊りを再興させました。
☆祭の現状☆
念仏踊りの踊り子は5才から12才くらいまでの少女20名くらいで構成され、南須釜念仏保存会によって、踊りの指導や運営がおこなわれています。
お囃子は大人で鉦1、笛2,歌4人で行います。
☆祭の当日☆
午前08:00 南須釜集会所で支度
午前09:00 東福寺で踊る。
午前10:00 新盆の家を回って踊る。
午後12:00 終了
(新盆の家が少ないと早く終わる)
☆お囃子☆
さよの中山、ねずみ、こかじ、さんちょい、おみよ、松川、さいほい、しもつま
綾竹で・・・さよの中山、こかじ
         

取材履歴;平成18年8月14日 平成17年8月14日 平成16年8月14日 平成16年4月3日

2006年9月 1日 (金)

08月:真家のみたまおどり(茨城県石岡市)

祭り名:真家のみたまおどり      
茨城県指定無形民俗文化財:国選択無形民俗文化財

場   所:茨城県石岡市真家地区(旧八郷町)
開催日:平成18年8月15日(火)
取材日:平成18年8月15日(火) 
☆祭のあらまし☆
神仏を供養する念仏踊り      Img_4122a
起源は古く平安時代、不動寺福寿院の僧が踊って、「みたま」の供養をする念仏踊りを広めたと言われています。
日程 8:00明円寺
      この間は新盆の家3軒で踊る。
    11:15金龍寺
       昼食
    13:00戦没者忠霊塔前
    13:45新盆の家
    14:45福寿院

演目;七月の舞い、十六拍子の舞い

楽器;太鼓2個、笛3条、 びんささら3個

道具;まとい
    ながもの・・・・・とうしん トラ皮 みとし

☆撮影ポイント☆
真家地区の新盆の家を巡るので、置いて行かれないように祭の車について行くことが大切です。
取材履歴;平成18年8月15日 平成16年8月15日 平成14年8月15日

2006年8月29日 (火)

07月:馬出し祭(茨城県行方市)

祭り名:馬出し祭り  神社名;八坂神社
場   所:茨城県行方市天王崎(旧麻生町)
開催日:平成18年7月30日(日)
取材日;平成18年7月30日(日)
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☆祭のあらまし☆
寛文(かんぶん)7年(1667)に新荘家が近江国から麻生へ国替えになった翌年の6月14日に、領内24か村の役人を召集し、天下泰平・五穀豊穣の祈願をしたのが始まりといわれています。
大蛇ヤマタノオロチに見立てた馬と、スサノオノミコトである神輿が対決するという伝説にちなんだ祭です。
祭当日午前中、地区内を一軒一軒まわり、家々ではマッチで切り火をしたり、祝儀を渡します。切り火は馬に禍を託し、本祭で退治する意味があります。
午後1時頃より神事本祭が行われ、4時頃には神輿が霞ヶ浦に「お浜降り」の行事をします。
☆見所☆
暴れ馬と神輿の掛け合い、御者の手綱裁きが荒々しく、見ていてハラハラわくわくします。
☆撮影ポイント☆
松に被われた参道で行われるので、直射光と影がマダラ模様になり、カメラのセットが難しい。

取材履歴;平成16年7月25日(日)
       平成15年7月27日(日)、平成14年7月28日(日)

2006年8月20日 (日)

08月:笠間の祭り(茨城県笠間市)

祭り名:笠間の祭り

場   所:茨城県笠間市笠間 笠間稲荷神社周辺
開催日:平成18年8月16日(水)灯籠流し
     平成18年8月19日(土)パレード
取材日;平成18年8月19日(土)
☆祭のあらまし☆Img_5012a
青森に行かなくても笠間にねぶたが出現
まだまだ暑い夏の夜、笠間のまつり「神輿&ねぶた&光のパレード」が開かれました。青森からトレーラーで来たねぶた2基、市民手作りのオブジェ15基、神輿6基、跳ね人1000人が参加して、盛り上がっていました。

取材履歴;平成18年8月19日(土)、平成15年8月17日 平成14年8月24日
       
 

«07月:延方相撲(茨城県潮来市)

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08月:小張松下流綱火写真帖

  • 01二六三番叟(にろくさんばそう)
    からくり人形と花火がコラボレーション

08月:高岡流綱火写真帖

  • 10仕掛け花火
    ”くるくる”が火花を散らす

10月:西塩子の回り舞台・人形浄瑠璃「二人三番叟」

  • Img_1049a
    天下太平、五穀豊穣を祈願するお祝いの舞です。

10月:西塩子の回り舞台・歌舞伎「菅原伝授手習い鑑」写真帖

  • Img_0831a
    源蔵夫婦や松王丸夫婦が子を悼む場面が涙をさそいます。

10月:西塩子の回り舞台・舞踏常磐津「将門」写真帖

  • Img_0496a
    雷鳴がとどろく場面があり、雨乞いの意味を持たせて地方の祭礼で多く上演されます。

10月:西塩子の回り舞台・舞踏常磐津「子宝三番叟」写真帖

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    「三番叟」は天下泰平・五穀豊穣を祝して舞うおめでたい曲です。

10月:古殿八幡神社:流鏑馬写真帖

  • Img_3010a
    三重連の流鏑馬が見もの

11月:柴燈大護摩供法要・火渡り式写真帖

  • Img_2627a
    モクモクとあがる煙がすさまじい

11月:松明あかし写真帖

  • Img_1005a
    「大松明」をはじめ、ずらりと並んだ松明が夜空に炎を吹き上げる様は圧巻です。

11月:笠間稲荷神社神事流鏑馬(茨城県笠間市)

  • Img_1598a
    関東三大流鏑馬のひとつ。小笠原流の勇壮な流鏑馬です。

12月:加波山火渉祭写真帖02

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    冬至の日、善男女が素足で火渡りをします。

12月:岩瀬の大飯まつり写真帖06本郷

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    大盛のご飯を食べるという奇妙な祭りです。

12月:岩瀬の大飯まつり写真帖06下泉

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    茨城県ではここだけのめずらしいお祭りです。

12月:岩瀬の大飯まつり写真帖04

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    八合の飯を盛ったモッソウ

12月:木幡の幡祭り写真帖

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    日本三大旗祭りのひとつ

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